彼:
とてもよく寝た。
具体的には、四か月半。

後輩:
とてもよく寝た。
具体的には、四か月半。


◆【20170804】
「えへへ」
「どうした」
「幸せなのです」
「それは、何故?」
「夏休みで、クーラーが効いていて、先輩のそばにいるからですよ」
「そうか。ならば、俺の幸せも君と同じだ」
「ふふ。幸福共同体、的な」
「まさにな」
「……ねえ、先輩」
「ああ」
「私は今、幸せで。これから先も、ずっと、ずっと、幸せでいたいのですよ」
「……ああ」
「氷をからんと鳴らしながら、お素麺を啜る幸せ。お風呂あがりに、チョコミントのアイスクリームを食べる幸せ。寒いぐらいに冷房を強くして、鶏肉のお鍋を食べる幸せ。――ぜんぶぜんぶ、先輩と。ひとりじゃなくて、先輩と」
「はは。何やら食してばかりだが」
「む。食い気ばっかりじゃないですよ?」
「なるほど、色気も完備しているというわけか」
「それはもちろん。きもちいいの、だいすきですから」
「……そうか」
「ね。――だから、先輩」
「ああ」
「……なりましょうねっ。幸せに!」


◆【20170809】
「……ぅあ」
「……」
「ん、……んむ、むぅ。そんなにたべられないってことも、もしかしたらないかもですよー……?」
「ふむ」
「そりゃそうですよ。温泉旅館の朝ごはん、食べ放題のバイキングともなれば、ちょっとは気合も入れちゃいます。さあ先輩、時間いっぱい粘りましょう。……ああっ、でもでも、チェックアウトする前に、もう一回だけ露天風呂にもつかりたい……」
「……。いい夢を見ているようだな」
「えへへ……ふたりっきりの混浴ですよー……」


◆【20170813】
「むかしむかし、あるところに、ダビデという名の羊飼いさんがいました」
「ああ。全裸姿で有名な」
「ですね、あの彫像のダビデです。未来に王となる彼は、羊飼いで、詩人で、そして戦士でもありました」
「全裸の戦士か……」
「え、ええと。……あるときダビデは、恐ろしい巨人、ゴリアテとの一騎討ちに挑むことになりました。その戦いのおり、たった一投の石だけで、この大敵を打ち倒したとされています。しかもダビデは、鎧さえも身に着けていなかったとか」
「鎧を着けぬということは……、やはり、全裸で……?」
「全裸にこだわりすぎですよ!? どうしたんですか先輩!?」


◆【20170815】
「先輩」
「ああ」
「先輩。……ねえ、先輩」
「ああ。どうした?」
「先輩だけが、いいのです。先輩じゃないと、いやなのです。……一緒にごはんを食べるのも、一緒に映画を楽しむのも、一緒に布団に潜り込むのも」
「……」
「優しく抱き締められるのも、やらしくからだを触られるのも、先輩だけがいいのです。他の誰かじゃありえない、絶対に、ありえない。私が愛されるのは、私を愛してくれるのは、先輩、せんぱい、……先輩だけが、いいのですよ……」
「……ああ。俺とてそれは、同様だ。君しかいない。君だけがいい」
「先輩、先輩。……ふふ、せーんぱいっ」
「うむ」
「えへへ。すりすりむぎゅむぎゅしちゃいます。ぬくぬくです」
「はは。今は夏だが」
「クーラーが効いているので無問題! 先輩が買って下さったハーゲンダッツもあるのでもはや最強!」


◆【20170820】
「外湯によくある休憩所での、お風呂上がりのひとやすみ。こういうのって、やっぱりいいものですよねえ……」
「ああ。湯上りの肌を涼ませながら、瓶牛乳を呷る時間の心地よさ。ここまで含めて、湯の楽しみというものだろう」
「瓶なのが大事ですよね。ザ・温泉! みたいな感じ」
「全く以て、ザ・温泉! だ。……君は今回、フルーツ牛乳にしたのだな」
「ですです。普段全然飲みませんから」
「すまんが一口、貰っても?」
「もちろん大丈夫です。私は先輩のコーヒー牛乳を頂きましょう」
「ああ」
「では、失礼して。……ん。こーひーぎゅうにゅう」
「……うむ。フルーツ牛乳の味だ」
「むふふ。間接ですよ」
「全く。何を今更」
「お。じゃあ先輩は、直接的なのをお望みで?」
「……。望んでいるは望んでいるが、帰ってからな」
「はーいっ」


◆【20170820-2】
「温泉施設七不思議、その一だ」
「おお?」
「男湯に見回りにくる従業員は、何故か女性の場合が多い」
「え。そうなのですか?」
「ああ。必ずというわけではないが、中年の、女性の方であることが大半だ」
「えっと……そういうのって、気にならないものなのですか? 先輩も、他の人達も」
「気にならん。『それはそういうものなのだ』と、受け入れている。俺以外の者についても、恐らく変わるまい」
「へえーえ……。確かに不思議ですね。日本でのことなのに、異国の文化に触れた気分です」
「うむ。だろうな」
「……あ。ところで、先輩」
「どうした?」
「温泉施設七不思議、その二からその七、というのは……?」
「当然ながら、そんなものはない」
「七不思議じゃなかった!?」


◆【20170824】
「じゃがいもを二個、よく洗う。皮を剥く」
「しょりしょり、しょりしょり、と」
「芽を取り、薄いチップス状に切ってゆく。薄く、薄く」
「とんとん、とんとん、と」
「熱したフライパンに、バターの塊を落とす。……折角だ、贅沢しよう。多く使うぞ」
「じゅわじゅわー。……ううん、食欲を誘う香りです。塩っぽくて、脂っぽくて、カロリーっぽい」
「まさしくカロリーの塊だな。即ち、罪だ」
「ええ、ええ。罪ですねえ」
「さてここに、スライスしたじゃがいもを投下しよう。……薄切りが故、火の通りはいいのだが、ここは敢えて、少し焦げ目が付くまで炒め続ける」
「うんうん」
「そして最後に、醤油を少量、回し掛けよう。さっと、素早く」
「んーっ……! バターと上手く絡み合って、いいぐあいの焦がし醤油になりましたっ」
「――よし。火を止め、皿に盛ろう」
「どこから何をどう見たとして、神仏に誓っておいしいに違いない、薄切りじゃがいものバター醤油炒め――できましたねっ!」
「ああ。出来た。……料理とは呼べぬレベルのものではあるが、ま、寂しい夜の軽食としては、十分過ぎるものだろう。そしてまた、寂しさには、カロリーこそが最上の特効薬となる」
「先輩と、私、ふたりぼっち。ふたりっきりでさみしいから、いっしょにカロリっちゃうわけですね」
「うむ」


◆【20170831】
「今日はなんだか、ずいぶん涼しい風が吹いていました」
「ああ。昨日までの酷暑が嘘だったかのように、ひんやりとした空気を肌に覚えた」
「ですですよ。……八月の、さんじゅういちにち。夏の終わりの一日です」
「ああ……」
「ふふ。せんちめんたるな気分になっちゃいましたか、先輩?」
「そうだな。誤魔化しはすまい。夕刻の陽は感傷的で、部屋に入り込んでくる空気の匂いも感傷的だ。蚊取り線香の立てる煙も感傷的で、首振る扇風機の姿も感傷的だ。……今宵ばかりは、世界の全てが感傷的だ」
「ん……」
「夏の終端。季節の終端。そしてまた、夏休みの終端、か」
「あうう。思い出させないで下さいよぉ……」


◆【20170901】
「くがーつ、ついたちーっ」
「いかにもまさしく、今日は長月一日だ。秋なる時空、寂しく冷たい季節の始まりだ。……君にとっては、久方ぶりの登校の日でもあったな」
「でしたよー……。疲れましたー……」
「よしよし」
「うみゃう……」
「うむ。……華奢なのに、柔らかいな。君の身体は」
「……うー。こうやって、ぎゅってされて、背中ぽんぽんってされながら、そういうの、みみもとで囁かれたら……、せんぱい……」
「ああ」
「いやらしい気持ちに、なっちゃいますよ……?」
「明日は土曜だ。君も俺も、休日だろう」
「……逆らえないじゃないですかー」
「逆らいたかったのか?」
「いえ。ぜんぜん」


◆【20170904】
「晩飯、どうする」
「ん、んー。宵のおやつに、ドーナツ食べちゃってますからねえ」
「それもまた、一人三つも」
「ばかにならないんですよね、ドーナツのカロリーって」
「そうだな。大凡、一つで三百キロカロリー強、といったところだ」
「一つで三百強ということは、三つだったら、せんきろかろりー、こえてますよね……」
「うむ……」
「んむう……」
「……では、今日の晩御飯はなしとしようか。聊か退廃的とは言えようが、そういう日もあるのだろう」
「むむ、ふむむむ。それはそれで、なんだか寂しいような気も……?」
「……。……素麺でも茹でるか?」
「おおっ、おそうめん?」
「一人一束が多いなら、半束づつだ。どうだろうか」
「はいっ。それぐらいなら食べられますっ」
「了承した。少し待っていてくれ。……いや、薬味を準備してくれ」
「任されましたーっ。小葱とー、大葉とー、ふふふ、梅干しも出しちゃいますかっ」


◆【20170906】
「雨のにおい……」
「ああ。気付かぬうちに、降り始めていたのだな」
「ひんやりとした風。しっとりと湿った空気。濡れたアスファルトから立ち上る、ほんのり甘い雨のにおい。……そういうのが、網戸から入ってきてる」
「夏の名残、といったところか」
「ええ。終わる季節が風に託した、果てなずむ最後の残り香、なのですよ」
「……」
「わけもなく泣きそうになる、この感じ。素敵なものだと思うのです」
「同意する。同意するが……」
「先輩?」
「どうした、今日は。いつになく、常になく、君としては珍しく、感傷的な心持になっているように見えるが」
「むう。そういう日もあるんですー。のすたるじっく人間の先輩に感化されちゃったんですー」


◆【20170913】
「いやー、気付けばすっかり秋ですねー……」
「そうだな。秋風蕭条、渡る大気の物悲しさが、季節の移りを伝えてくれる」
「ですねえ。秋の夕方に吹く風は、さみしくて、つめたくて、葉っぱの色さえ変えちゃいます」
「緑が紅へと彩られゆく。深く、静かに、燃えるが如く」
「と。……そういうわけで、先輩」
「うむ」
「秋といえば、もみじ。もみじといえば、もみじおろし。そして、もみじおろしといえば――」
「――鍋料理だな」
「ですですよっ!」
「秋の鍋は、茸の類が特に美味いな」
「私、舞茸とか好きです。でぃーがふらくしょんする辺りが」
「マイタケDフラクション。……強そうだよな、字面が。よく意味は分からないが」
「ええ。よく意味は分かりませんけど、強そうです、字面が」
「……。やるか、舞茸鍋」
「いえいっ」


◆【20170916】
「むう。この週末は雨、ですかー」
「仕方ないさ、台風が近付いている。大人しく、インドアに徹しているのがいいのだろうな」
「ふむむむ」
「どうした。何か、所用があったか」
「いえいえ。部屋に籠った怠惰な時空を先輩とご一緒するのは、そりゃもう吝かじゃないのです。吝かじゃないと言いますか、わくわくしちゃうと言いますか」
「ああ」
「でもね、先輩。……いま、このお部屋、お米がない」
「……しまった。失念していた。炊き尽くしていた」
「ごはん、どうしましょう……?」
「……待て。確か、素麺が残っていた筈だ。キッチンストッカーの奥に、五束程」
「お、おお。そういえば」
「人参と椎茸、それと鶏腿肉が冷蔵庫の中にあるから、……にゅうめんと炒め素麺、どちらがいい?」
「にゅうめんっ。私、にゅうめん大好きですっ」
「知っているとも。――楽しみにしていてくれ。今の俺は、にゅうめんの化身そのものだ。なんならば、にゅうめん先輩とでも呼んで構わん」
「にゅ、にゅうめん先輩!」
「折角なので、葱も沢山散らすとしよう」
「ねぎにゅうめん先輩!」
「卵を落とし、かきたまにもしてしまおう」
「かきたまねぎにゅうめん先輩!」


◆【20170917】
「『先輩』『後輩』って、英語ではどういうのでしょう?」
「それは……、『該当する単語は存在しない』、だろうな。欧米諸国の組織には、『先輩』『後輩』という概念そのものがない」
「あー、なるほど。日本の社会独自の文化、みたいな」
「そういうことだ」
「つまり、そのままローマ字表記するしかないのですね。スシ、ニンジャ、センパイ」
「或いはnをmにして、sempai、としている例もあるな」
「ふむふむ。じゃあ私達が海外展開するとなれば……」
「……海外展開?」
「ハロー、セムパァイ」
「よせ」


◆【20170918】
「んーっ。台風一過の秋晴れの朝……!」
「ああ。眩い光が澄んでいる。空の青が突き抜けている。野分ける風が、世界のすべてを洗ったように」
「相も変わらずりりかるぽえむな先輩ですが、ええ、まさにそんな感じです。高くて、綺麗で、透明で」
「兎にも角にも、よき一日になりそうだ」
「ええ。今日はお散歩日和です。お散歩に出なきゃ嘘です。この世の果てまで歩きましょうっ」
「心逸るも致し方なし、か。……だがまあ、まずはトーストと熱い珈琲だ。腹拵えをするとしよう」
「はーいっ。私はサラダを準備しますね!」


◆【20170923】
「三分で! 料理は! 出来ません! ――後輩ーっ! くっきんぐ!」
「切れ味鋭い出だしだが、今宵の料理は何だろう」
「はいっ。今日は鶏肉のトマト煮込みを作ります。手間も暇もかかりますけど、美味しさ折り紙付きですよ?」
「自信の程は十二分、か。これは何とも、楽しみだ」
「ん、と。……もしお口に合わなかったら、ちゃんと仰って下さいね?」
「美味でない筈がないさ。君の手並みは、俺が誰より知っている」
「だめですって、そういうの。にやけちゃうから、にやけちゃうから」

「気を取り直しまして、まずは鶏腿肉の下準備。好きな大きさに切ってから、お酒に浸けておきましょう」
「肉を柔らかくするのだな」
「ええ、そうです。ボウルやバットでもいいですけれど、私はビニール袋でやりますね。……お肉をぽいぽい放り込んで、適当にひたるぐらいにお酒を入れて、冷蔵庫にしばらく放置。ただこれだけで、びっくりするほど柔らかくなっちゃいます」
「うむ。煮物にせよ、炒め物にせよ、揚げ物にせよ、兎にも角にも、鶏肉には調理酒だ」
「ですですよっ」

「お肉を寝かせているうちに、他の具材を準備します」
「しめじ半株、玉葱一玉、大蒜一片……か」
「はい。鶏肉が主役なわけですし、シンプルにいこうかなあ、と。キャベツを入れてもよかったのですけどね」
「くたくたに煮込んだキャベツは魅力的だが、それはまた今度だな」
「あはは、いつでもお作りしますので。……さて、しめじは石突きをばっさり落として、にんにくはみじん切り。たまねぎは、三分の二はくし形切りで、残る三分の一はみじん切りです」
「……ふむ? 三分の一の、微塵切り?」
「ええ。これが今回のみそです。……あめいろたまねぎ、ご存知ですよね?」
「ああ。カレー作りに際して行う、非常に時間が掛かる作業だ」
「それです。それを、やります」
「なんと」
「フライパンに油を敷いて、みじん切りたまねぎを炒めます。強火でやると焦げちゃいますから、弱火でじっくり、じっくりと。じっくり、じっくり……」
「ほ、本格的だな……」
「愛ゆえですよっ!」

「……ふう。ニ十分ほど炒め続けて、ペースト状になりました。いったん取り出しておきましょう」
「お疲れ様だ」
「どもども。じゃあ、お次は鶏肉です」
「流石に酒が染み込んでいるな」
「ええ、もう十分でしょう。……キッチンペーパーで水気を取って、塩胡椒を揉み込んで、にんにくと一緒にフライパンへ。皮を下にしておきます」
「煮込みの前に、焼き目を付けておくわけだな」
「その通りです。香ばしく焼けた鶏皮、正義ですから」
「うむ、正義だ。大正義だ」
「じゃすてぃす!」

「鶏肉に色が付いたら、残りの具材も軽く炒めて、さっきのたまねぎペーストも入れて……」
「漸く全員集合か。感慨深い」
「トマトジュースと水、ざばーっ!」
「うむ……!」
「ここまでずいぶんかかりましたが、トマト煮込み、はじまりですっ」
「君が最初に言した通り、諸々手間暇掛かっていたな」
「それはもう、惜しみませんよ。おいしい料理を食べて頂きたいわけですから」
「……ありがとう」
「えへへ」

「味付けは顆粒コンソメ、塩胡椒に砂糖ちょこっと。大雑把で大丈夫です」
「今後、好みに調整してゆくわけだ」
「ですね。煮込みつつ、味見をしつつ。……あ、それと、ちょろっと醤油でこくをつけたり」
「流石は醤油、万能だ。洋風料理でも活躍の場があるか」
「私達の舌に合いますからね。こう、落ち着く味、と言いますか」
「その通りだな」
「と、そんなこんなで、味付けはこんなものだと思います。先輩、ちょっと味見してみます?」
「頂こう。……これは」
「ん……」
「重層的な味がある。大蒜の香味は当然ながら、玉葱の旨味が深い。トマトの酸味は損なわれずに、しかし全体が丸みを帯びている。……端的に言えば、美味い」
「よしよしっ」

「味が落ち着いたら、後はもう、煮込むだけです。蓋をして、弱火でことこと……」
「目安としては?」
「たまねぎがくたっとなるまで、ですね。結構時間が掛かりますから、この隙に洗いものをしたり、付け合わせを作ったり」
「空いた時間の活用も、調理スキルの一部だな」
「あはは。まあ、暇潰しみたいなものですけどね。……たまねぎが柔らかくなったら、蓋を取って、中火にします」
「ふむ。如何なる意味が?」
「水を飛ばして、トマトスープを煮詰めるのです。この加減はお好みですが、ちょっととろみがある方が、具材に絡んでいいかなあ、と」
「なるほど。納得だ」

「――と、いうわけでっ」
「ああ。と、いうわけで」
「下準備から完成まで、おおよそ一時間。後輩特製、鶏肉のトマト煮込み――完成です!」
「お疲れ様だ。徹頭徹尾、並べて見事な手際だった」
「えへへ、ありがとうございます。……じゃあ、早速盛り付けましょう。鶏肉ごろごろ、スープもたっぷり上からかけて……」
「視覚で分かる。嗅覚で分かる。これが美味くないわけがない」
「お褒めは嬉しいですけれど、まだ早いですよ、先輩。感想は食べてから、です」
「そうだな、すまん。頂こう」
「はいっ。めしあがれ!」


◆【20170928】
「料理の基本は、何より『怖がらないこと』なのですよ」
「それは、つまり?」
「つまり、こう……最初から完璧を目指さなくてもいい、ということです。味見をしながら、濃いなあと感じたのなら水を足し、パンチがないなあと感じたのなら塩を足し、硬いなあと感じたのなら時間を足して、火の通りが不安だったらレンジでチン。そのうえで、最終的に、うまく作れなかったなあと思ったのなら……また今度、りべんじすればいいのです。そうして試行錯誤するうちに、自ずと勘は身に付きますから」
「なるほど。――多少のミスは取り返せる。また、たとえ美味とならなかったとしても、最低限、食べられるものが出来上がるならそれでよい。未知の調理を畏怖せずに、次々試してゆけばよい。こういうことだな」
「その通りです。失敗は成功の母……という言葉の普遍的な真偽はともあれとして、少なくとも料理では、これは間違いのない事実ですから」
「……勉強になる。君から学ぶことは多い。全く、これではどちらが『先輩』であるのやら」
「先輩は先輩ですよっ!」


◆【20171001】
「お素麺と冷麦って、けっきょく何が違うのでしょう?」
「太さだな。一・三ミリメートル以下が素麺、それ以上が冷麦だ」
「ふむふむ。つまり、タイツとストッキングの違いみたいなものですね」
「デニール、だったか。……言わんとすることは分かるが、その比喩は適切なのか?」
「むむ。食材繋がりですよ?」
「何だと」
「だって、ほら。世間には、脱ぎたてタイツで出汁を取る人もいますし――」
「――いずこの誰だ、その変態は!?」


◆【20171003】
「――ここに。罪を、告白する」
「あの、先輩。改まって、どうされました?」
「すまん。だが、どうか聞いてくれ。聞き届けてくれ」
「は、はい」
「罪科はこの身を叫喚地獄へ導くだろう。八百五十二兆六千四百億年もの間、悍ましき罰を受けるだろう。あらゆる光、あらゆる救済、この世全ての善性でさえ、我が恐るべき罪、邪悪なる罪を洗い流すことなど出来はしまい。――俺は、赦されざる悪を為したのだ」
「それは、つまり……?」
「つまりだな。……昔、深夜、一夜の慰めとする酒がなくなり、さりとてコンビニで安酒を買うだけの金銭も手持っておらず」
「え、ええ」
「であるが故に、キッチンにあった調理酒をコップに注ぎ――」
「――待って、だめです! これだめです! 聞いちゃだめなやつです! 聞きたくない! 聞きたくないーっ!」


◆【20171009】
「おはようのきす、というのがありますけれど……」
「あるな」
「でもですね。寝起き直後の口腔内は、菌のたぐいが大量増殖していると聞きます。つまるところに不潔です。起きて一番にちゅーをするのは、言ってしまえば、不清潔な行いであるわけですよ」
「そうだろうな。たとえ想い通ずる間柄であっても、医学的な配慮は重要だ」
「ですですよ。――そして、先輩。ご安心あれ!」
「安心?」
「今の私は、歯を磨いた直後なのです。当然ですが、歯磨き粉にもぬかりなし。一日の中で、今がもっとも歯がきれいな状態になっているというわけです」
「な、なるほど」
「だから、ね。先輩?」
「ああ」
「きす、しちゃっても、いいのですよ……?」
「……そうか。ならば、遠慮なく」
「えへへ、どうぞどうぞ……っ、――」
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