彼:
眠れない夜にはバーボンロック。
シュルツの「ピーナッツ」を読みながら。

後輩:
眠れない夜にはホットココア。
アシモフの「黒後家蜘蛛の会」を読みながら。


◆【20170214】
「お邪魔しまーす」
「うむ。よく来たな」
「えへへ、良くも悪くも来ちゃいましたよ。……それで、先輩」
「ああ」
「今日は、『ちょっと時間を遅らせて来て欲しい』とのことでしたので、その通りにしましたけども。……なにかあったのですか? もしかして、えっちな漫画を買ったから、私がいない間、それで楽しんでいらっしゃったとか……?」
「君は何を言っているんだ。……まあ、準備をしていたのさ。プレゼントを。バレンタインの」
「――にゃっ!?」
「スパイスの効いた、辛口のチョコレートを」
「辛いチョコレート!?」
「より正確に言うのなら、チョコレートに似た辛い調味料を以て作った、所謂一つの煮込み料理を」
「……ぁ。もしかして、それって」
「うむ。愛情込めて、ぐつぐつ煮込んだ――」
「――カレー、ですねっ!」
「正解だ。チキンカレーだ」
「わぁ……、わはあぁ、先輩の、先輩が作って下さった、私の好きな料理……!」
「以前、君が教えてくれたレシピ通りのものだがな。……君ほど上手く作れてはいないだろうが、よければ食べて欲しいと思う」
「も、もちろんですっ。もちろんですとも! おかわりもしちゃいますともっ!」


◆【20170217】
「一か月も待ってられるかーっ!」
「――!?」
「お返しの話ですよっ。バレンタインの!」
「そういうことか。気にしなくても構わんぞ。あれはバレンタインと言うよりは、常日頃の感謝を示したかったが故の行動であってだな――」
「ずるいですよ、先輩。そうやって逃げ切れるとは思わないで頂きたい……!」
「す、すまん。君の言う通りだ。一方的な善意の押し付けは、一種の自己満足と変わらんか」
「ああいえ、その、ごめんなさい。私の収まりが付かないというだけなので……」
「何にせよ、お返しの贈り物を貰えるということでいいのだな」
「もちろんですとも。……さあ心して下さい、先輩。二月の十七日ではありますけれど、今日この日こそがホワイトデーです。時空の歪みとか知りません。私が今、ここで決めたから、もうそういうことなのです」
「ああ。分かっているとも」
「ホワイトデーが! ホワイトデーで! そういうことだっ!」
「……説明ッ!」


◆【20170217-2】
「と、いうわけで。……先輩、牛乳とバター、小麦粉はありましたよね?」
「ああ、残っているな」
「コンソメキューブはなくなっていたと思うので、さっき買ってきましたけども」
「確かに切らしていたな。……しかし、その調味料のレパートリーは。なるほど」
「ええ。バレンタインに、先輩が作って下さったのは煮込み料理。そしてホワイトデーといえば白。このことから考えて、お返しは、白い煮込み料理しかありえないわけなのですよ」
「シチュー、か……」
「……ん。えと、その、もしかして、お嫌いでした……?」
「いや。好物だ。だったと思う」
「あー、なるほど。一人暮らしを始めて以来、食べる機会がなかったと……?」
「恥ずかしながら、その通りだ。外で食べる料理でもなし、自作するのも無精していた。正直に告白すれば、今の俺は、ホワイトシチューの味を覚えていない」
「……んっ。わっかりました!」
「ふむ?」
「美味しいシチュー、作っちゃいます。あたたかくて滋味に富んでて、濃くてまろやか幸せいっぱい、そんなシチューを作っちゃいます。……先輩がシチューの味を忘れてしまったというのなら、今日この日、この私が新しく、覚えさせて差し上げましょう!」
「……ああ。心の底から、楽しみにさせて貰う」


◆【20170218】
「先輩」
「ああ」
「せんぱい?」
「ふむ」
「センパイ」
「ううむ」
「先パイ」
「いや……」
「ん。……先輩っ」
「ああ。その響きが快い」


◆【20170219】
「ん、くぁ……っ。夜明け、ですねえ……」
「ああ。夜明けだ」
「風は冷たく心地がよくて、東の空には陽が燃えて、西の空には透明な月。……うん、いい朝です」
「『東の野にかぎろひの立つ見えてかへり見すれば月傾きぬ』、か。……うむ、いい朝だ」
「おお。人麻呂さん、でしたっけ」
「うむ、万葉の歌聖だ。……まあ、俺達が歩んでいるのは安騎の野ではなく、コンビニへ向かう道なのだがな」
「コンビニに朝ごはんを買いに行くのも、それはそれで、現代的な詩的情緒があるかもですよ」


◆【20170221】
「法律はきちんと守り、波を立たせずこと荒立てず、常識に沿って生きてきている私ですけど……」
「うむ。君はよくやっている」
「でもでもたまには、悪いこともしちゃいたいです。しちゃったりしてみたいのです」
「それもまた、致し方ない欲ではあるか。……して、悪いこととは?」
「そうですねえ。たとえばですが、朝食をカップラーメンで済ませたり」
「何たる大罪。ヤマラージャも見ているぞ」
「更にたとえば、パソコンを点けっぱなしにしてすんやりしたり」
「まるでもう、罪深きことこの上ない」
「ついでにたとえば、先輩に腕枕を要求したり」
「いや、それは悪いことではないな」
「急に素に戻りなさる!?」


◆【20170224】
「辛そうで辛くない、少し辛いラー油……」
「あったな。目を引く上に覚えやすい、悪くないネーミングだ」
「うーん。……じゃあ、甘そうで甘くない、少し甘い罠、とか?」
「ほろにが系ハニートラップか何かか?」
「薄そうで薄くない、少し薄い本」
「つまり、総集編と」
「長そうで長くない、少し長いお別れ」
「ギムレットには丁度いい時間かも知れないな……」


◆【20170225】
「ドヴァキン! ドヴァキン! ナル・オ・ジン・ロス・ヴァーリン!」
「――!?」
「……っていうアラームの目覚まし時計とか、どうでしょう?」
「起き抜けに膝に矢を受けそうな気がするが、大丈夫か?」
「あー。朝食のスイートロールも盗まれてそうですねえ」


◆【20170226】
「先輩先輩」
「ああ」
「七文字で、『シャイレーンドラ朝時代に建設された、世界最大級の仏教寺院』。ご存知ですか?」
「ボロブドゥール」
「おお、ありがとうございます。……ぼろぶどうーる、っと」
「うむ」
「……」
「……」
「……ん、と。たびたびごめんなさい、先輩。今度は十文字なのですけれど」
「ああ」
「『三十六歌仙の一人で、二百六回も鞠を落とさなかったという記録を持つ、蹴鞠の名手』。分かりますか、先輩?」
「確か……、従五位下、坂上是則だ」
「あ、合ってます合ってます。流石です、先輩。……さかのうえのこれのり、っと」
「……しかし、何だ。また随分と、マニアックなクロスワードパズルだな」


◆【20170228】
「突然ですけど、先輩」
「ああ」
「はりますか、はりませんか?」
「……はるか、はらぬか。賭けるか、賭けぬか。そう言いたいのだな、君は」
「ん」
「なるほど、俺達の歩む人生は、絶望的なレートの賭博行為そのものだ。賭けに勝つ可能性など、いかにも低い。だが、まず何かを賭けぬことには、なにごとをも為せはしない。――はるか、はらぬか。ならば答えは、決まっている。俺は、『はる』」
「――はる!」
「ああ」
「春っ!」
「ああ。春だ」
「おめでとうございます、先輩っ。今日は二月のつごもりで、明日からは三月ですっ。長い冬も今日で終わりで、夜が明ければ春なのですっ。……先輩は、みごと賭けに勝ちました!」
「うむ……! 今こそこの手に、春の息吹は勝利を齎し吹き抜ける……!」
「春……!」
「ああ……春だ……!」
「……」
「……」
「……こほん。ごめんなさい、なんだか変な与太話をしちゃいましたが。えっと、新しい季節においても、どうか宜しくお願いします、先輩」
「うむ。こちらこそ、宜しく頼む」


◆【20170301】
「わかめごはん……」
「わかめごはん、か」
「昔、ありましたよね、給食で。わかめごはん」
「あったな。あれが出る日ばかりは、おかわりを求める生徒の列が、大蛇の如き様相を呈していたのを思い出す」
「おお。先輩の時代でも、わかめごはんは人気の一品だったのですね」
「うむ。違いない」
「ん。……ほんのり甘くて、しょっぱくて、もはやごはんがおかずになるレベル。あんなに美味しいわかめごはん、中学校を出てからは、一度も出会ったことがないかもです」
「そうだな。コンビニのわかめお握りとも違う、市販のわかめ混ぜご飯とも違う。……俺が思うに、『学校給食のわかめご飯』は、あの時限りの奇跡の所産だったのだと思う」
「つまりはもう、手の届かないのすたるじあ……?」
「ああ、ノスタルジア。如何にかいなを伸ばしたとして、如何に狂い求めたとして、二度と掴み取ることは出来ぬのだろう」
「……うぅ。でも、でも、もう一度だけ食べたいなあ、給食のわかめごはん……」


◆【20170303】
「焼き鳥の缶詰、いいですよねえ」
「ああ。あれは、いいものだ。そのままつまみにしても良し、白米に乗せて丼物にしても良し、果ては汁ごと炊飯器に投入し、炊き込みご飯にしても良し」
「ええ、まさに万能兵装です。戦術級どころか戦略級にも達しかねない、極めて危険な兵器です」
「然り、然りだ。コンビニでも買える辺りが、更に危険指数を引き上げている」
「……でも。先輩」
「どうした?」
「あれって、何というか、こう、……言っていいのか、分かりませんが」
「あ、ああ」
「串に刺さってもいませんし、煮凝りみたいに浸かってますし、……何をどこからどう見ても、『焼き鳥』ではありませんよね?」
「……言ってはならないことを!」


◆【20170307】
「いつもおなじみお楽しみ、当番組の人気コーナー、愛媛紹介!」
「位置は四国なる島の北西、うどんも龍馬も鳴門の渦もありはしない、温州みかんの生産量でさえ和歌山県に届かない、我等が愛しの愛媛県だな」
「しょ、初っ端からネガティヴですか!? 寺社に文学、日本最古の温泉もあり、本州からのアクセスもよし、バリィさんも大人気、愛媛はとってもいいとこですよ!?」
「なに、お茶目な伊予ジョークだぞなもし。……して、今日は何を紹介する?」
「ええと、こほん。……愛媛県の飲食店では、『せんざんき』というメニューがよくあります。発祥は東予の方ですが、ここ松山市でも見られますよね」
「あるな。俺も最初に目にした折は、如何な珍味かと思いを巡らせていた。……その正体は、まるで予想外のものであったわけだが」
「では、開帳の時です。『せんざんき』とは何なのか。名前からでは想像も付けられない、その本性とは何なのか――」
「――まあ、鶏の唐揚げなのだがな」
「――まあ、鶏の唐揚げなんですけどね!」
「何のことはない。特殊な材料、特殊な製法などありはしない。ただの鶏の唐揚げを、この地方では『せんざんき』と呼称する。それだけのことでしかない」
「うう……うぅ、でも、鶏の唐揚げ、美味しいじゃないですかっ!」
「それは、まあ」
「ベジタリアンでもない限り、唐揚げが嫌いな人なんていませんっ。かりかりっとした衣、じゅわりと滴る熱い肉汁。松山のケルシュ地ビール、『坊ちゃん』にもきっと合う筈ですっ。飲んだことありませんけど!」
「う、うむ」
「愛媛県なめんなーっ!」
「落ち着け」


◆【20170308】
「……さむい」
「……ああ。寒い」
「……今朝、雪、降りましたよね」
「……ああ。降っていた」
「……さむい」
「……ああ。寒い」
「……春になった、筈だったのに」
「……」
「……春が来て、あたたかくなって、嬉しかったのに」
「……」
「……くすん」
「……よしよし」


◆【20170309】
「つい先日、愛媛県の唐揚げは『せんざんき』と呼ばれる、という話をしたかと思いますけど……」
「うむ。したな」
「どんな偶然があったのか。遥か遠い北の大地、北海道のわたりでは、鶏の唐揚げのことを、『ざんぎ』と呼称するそうです」
「そうらしいな。何でも、語源は中国の方にあるようだが……」
「とにもかくにも、北海道の『ざんぎ』。愛媛県の『せんざんき』。……この二つを並べてみれば、わかりますよね、先輩!?」
「あ、ああ?」
「千倍です! 千倍なのです! ざんぎ、ばーさす、せんざんき! 愛媛県の唐揚げは、北海道の唐揚げよりも千倍強い!」
「……そうだろうか?」
「愛媛県――なめんなぁーっ!」
「落ち着け」


◆【20170310】
「白米を炊く。一食分づつタッパーに詰めてゆく。すると中途半端に余る。そこで手に塩を付し、小さ目の握り飯にする。そしてすぐさま口に詰め込む。……美味い」
「ああー、分かる……分かる」
「何故、あんなにも美味に感じられるのだろうな。その場で握り、その場で食べるおにぎりは」
「しかもそれも、『おにぎりを食べるぞ!』と思ってこさえたものではなくて、あくまで『タッパーに入り切らなかったから仕方なく』という体で作ったおにぎりが、何故だかとっても美味しくて……」
「うむ。うむ」
「あー。ごめんなさい、先輩。……まだ冷凍の分が残ってますけど、追加でごはん、炊いても構いませんか?」
「構わんさ。……余剰分を握り飯にするのなら、すまないが、俺にも一つ、握ってくれるとありがたい」
「あはは。もちろんですとも」


◆【20170311】
「さてさて。お風呂上がりです」
「うむ。風呂上がりだな」
「身体はぽかぽか、室温ほどよく。週末ですから、今宵はぐだぐだ過ごせちゃいます。……むふふ、いい感じの雰囲気ですよ?」
「いい感じの雰囲気なのか?」
「ええ。いい感じの雰囲気なのです」
「ふむ」
「ね、先輩。……いいかんじの、ふんいき、なのですよ?」
「……なるほど。では、それに飲み込まれてしまうのも、或いは致し方ないことか」
「んっ、ぁ……、あは」
「全く。今日は聊か、回りくどいな」
「でも先輩は、分かって下さるから」
「……まあ、な」
「先輩。せんぱい」
「ああ」
「私の身体を押し倒して、私の手首を布団に抑え付けて、私のふとももを開くように膝を割り込ませて、……これから、なにをしちゃうんですか、先輩?」
「君は知っていると思ったが?」
「……っ」


◆【20170312】
「……あー」
「……うむ」
「えっちの後って、なんか、こう、ポカリとか、飲みたくなっちゃいますよね……」
「まあ、そうだな。情緒を排して観ずれば、スポーツの如き営みではあるのだろう」
「おお。つまるところに、えくすとりーむすぽーつ……」
「……」
「……」
「……。ちなみにだがな」
「ん……?」
「ポカリでなくてすまないが、アクエリアスなら冷してあるぞ」
「おお、おおぉ……先輩が、先輩だ……!」


◆【20170317】
「かーごーめーかーごーめー。うしろのしょーめん、とーまーとー」
「……鶴と亀がスペインの祭りで滑るのか?」
「ラ・トマティーナはともあれとして。……いつもの料理じゃ物足りない。でも何を加えていいのか分からない。そんな時に役に立つのが、ずばり、カゴメなのですよ」
「なるほど、カゴメ、トマトジュースか。……確かに使い易いな。煮物に入れればトマト煮込みに、炒め物に振り掛ければトマト炒めに」
「ええ。面倒な手間も掛かりません。缶を開け、どぼどぼ注ぎ込むけでおーるおーけー。肉も魚も野菜も麺も、一風変わったトマト料理に変身です」
「うむ」
「と、いうわけで。――どぼどぼーっ」
「今日の晩飯たる鶏肉炒めが、トマト鶏肉炒めにクラスチェンジだ。……ああ、早速、豊潤な酸味を宿した匂いが漂ってくる」
「ふふん。味付けはコンソメ、胡椒は強め、隠し味には刻んだにんにく。楽しみにしていて下さいね、先輩?」
「ありがたく、ビールを備えて待機しているとしよう」


◆【20170318】
「眠いなぁ……」
「仕方あるまい。春だから」
「あー……、あはは。ですねえ。春だから」
「どうする。このまま二度寝と洒落込むか?」
「んー、いいのでしょうか……」
「落ちる瞼に逆らうことは、不自然極まる行動だ。……眠いのならば、眠ればいい」
「……はい。じゃあ、お言葉に甘えて」
「うむ」
「ねえ、先輩」
「ああ」
「瞼を閉じれば、世界の蓋も閉じるのですよ」
「そうだな。君の世界は、君が見ている景色である故に」
「だから、きっと、人が眠るとういうことは、世界そのものが眠ること。……次に目を覚ますまで、世界は眠りに就いたまま」
「ああ」
「……せんぱい」
「どうした?」
「先輩は……先輩は、いつか私が目覚めたときに、私の世界で、私の隣に、今と変わらずいて下さいますか?」
「当然だ。どれ程の断絶を経ようとも、時間の果ての暁に、俺は君の傍にいると誓おう」
「……ん。ありがとうございます」
「うむ」
「おやすみなさい。先輩」
「お休み。……願わくば、いい夢を」
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