彼:
かくなる上は、覚悟を決めているらしい。
とはいえ、彼自身にも然程経験の蓄積はないようである。

後輩:
かくなる上は、色々やってみたいらしい。
足でするとか、お互いに自分でするとか、おもちゃとか。


◆【20160710】
「『お茶を濁す』って、あるじゃないですか」
「あるな。『談話において、その場凌ぎの言葉を以て誤魔化すこと』程度の意味か」
「ですね。そして今の世代、『お茶』と言えば、やっぱり麦茶。それを『濁す』ということは……」
「うむ」
「……牛乳でも混ぜるのでしょうか?」
「麦茶オレだと!?」
「あ、ああっ。繋がりました! 麦茶と牛乳を混ぜたなら、コーヒー牛乳の味になるって言いますよね!?」
「い、言うな」
「『お茶を濁す』、それ即ち、『本当はカフェオレが飲みたいけれど、麦茶を濁して我慢する』!」
「驚天動地の大発見、天地開闢に似たパラダイムシフトを巻き起こすに足る新説だ。学会に提出しよう」


◆【20160710-2】
「赤信号、皆で渡れば一網打尽。……どうしたって怖いですし、何があっても駄目なのですよ。横断歩道を、赤信号で渡るのは」
「違いない」
「だから、手を繋いで待ちましょう。ふふ、緑になって、右見て左見て、安全を確認して、それから渡り始めるのです」
「うむ」
「でも、深夜の黄色……黄色信号が点滅している時には、注意しながら、自分達で頃合いを見て、自分達で判断をして、渡れるタイミングを見計らなきゃなりませんから」
「そうだな。夜は交通量も少ないが、危険であるには変わりがない」
「だから、先輩。その時は、教えて下さい。それからどうか、手を引っ張って下さい。先輩の仰ることなら、先輩の決めたことなら、私はいつでも従いますから」
「……。……それは、ああ。尽力しよう」
「って、あはは。何の話でしたっけ」
「なに。道路交通法の話題だろうさ」


◆【20160712】
「夢というのは、不思議なものだと思うのです」
「うむ。夢の不思議なることについては、もはや議論の余地などない」
「あはは、ですよね。……私がいちばん奇妙に感じる部分は、『夢の中で、現実世界のそれとは全く違った姿をしているのにも関わらず、何故だかその人物だと分かる』というところなのですけれど」
「……ああ。あの現象か」
「おお。先輩も、身に覚えがあっちゃいますか?」
「あるな。……俺は君を知っている。今眼の前にしている君の容姿を知っている。だがそのところ、見ている夢の世界において、パンダのぬいぐるみの如き見た目の存在が、『君』として出演している。俺はそのパンダのぬいぐるみを目視して、何故だかそれが、『君』であるのだと認識し、然なる事実を受け入れる。一切の疑問もなしに」
「ですですよっ。まさにそういうことなのですっ」
「うむ」
「もっと言えば、実際の外見を見たことがない人物も、それと同じでありまして。たとえばインターネット上でしか関わりのないなんとかさんも、夢の中では、何らかの姿を取って現れます。そして私は、『ああ、この人はなんとかさんなんだなあ』って、何の疑いもなく受け入れます」
「なるほど。想定され得る事態だな」
「ええ、ええ。まったくもって、不思議です。不思議なのです。夢という名の存在は」
「……して、君がかくなる話題を提起したということは、そういう類の夢なるものを、最近体験したとでもいうのか?」
「あ、いえ、ごめんなさい。そういうわけではないのです。というか私、オンラインだけの知り合いの方っていませんし」
「そ、そうか……」


◆【20160712-2】
「……あー。でも、先輩」
「うむ」
「今朝見た夢は、何だか印象深いものではありました」
「拝聴しよう」
「ん、では、こほん。……夢の世界で、私は定食屋にいるようでした。駅前通り、裏路地にある定食屋さん。目立たない店構え、ちょっとうらぶれているような感じで、床が油でぺりぺりしてて」
「ノスタルジックだ。趣深い」
「あはは、のすたるじっく。もちろんですが、現実にあるお店ではないのですけど。……私はカウンター席に座って、二つ隣にはサラリーマン。確かあの人、豚丼を食べてましたっけ。何故かいくらも乗ってましたが」
「い、いくら豚丼」
「それで、私は何を注文しようかなあということで、壁のお品書きを眺め遣り、そこに『漬け丼』という文字を見出しまして。『漬け丼』、税込み四百三十円」
「漬け。つまり、鮭か鮪の醤油漬けか。……それは、安いな」
「ええ、ええ。もうこれしかない! と思って、私もさっそくオーダーしちゃいましてね」
「致し方なきことだ。俺も君と同様にするだろう」
「わくわくですよ、どきどきですよ。よだれもちょこっと垂れちゃいますよ」
「ああ。だろうな」
「そして待つこと、五分ほど。『ででん』とばかり、と私の前に置かれたどんぶり。……すると、何と、そこにはですね」
「そ、そこには?」
「器にたっぷり山と盛られた、白菜のお漬物!」
「……。それは」
「『漬け』は『漬け』でも、『漬け盛り』とかの『漬け』だったのです。お漬物の『漬け』だったのです。……何も間違いなんかじゃない。全然何もおかしくはない。でも、理不尽。不条理」
「う、うむ……」
「辛くて、苦しくて、悲しくて。涙が出てきて、……そこで夢は終わりです」
「……何と言葉を掛けるべきであろうか。辛かっただろうし、苦しかっただろうし、悲しかっただろう」
「うぅ。思い出したら、また泣きそうに。……ね、ぎゅってして。先輩」
「ああ」


◆【20160717】
「さあ、先輩のお部屋からお送りしております。実況を担当するのは、不肖ながらもこの私」
「……」
「ついつい広い背中に見惚れちゃいますけれど、今はキッチンをご覧あれ。片手鍋ではこぽこぽ楽しい音が立っており、料理の予感に震えちゃいます。少し遅い朝ごはんということで、軽めのものをと見解が一致したのですけれど……おおっと! これはうどんか!? いえ! そうめんだー!」
「……」
「はい、そうめん、そうめんです! 夏ですね! しゅぴっと束の留め紙を外す仕草がもう涼しい! ……はい。ええと、ふたりで四束、二百グラムです。たぶん一般的な量だと思います」
「……」
「そしてさらさらーっとお湯の中に流し込む。いいですねえ、すぐにほどけるこの感じ。麺は麺でも、そうめんだけの醍醐味ですよ。喩えてみれば、風にそよぐ吹き流し」
「……」
「底にくっつかないように菜箸で混ぜる手付きも、流石先輩、慣れたものです。……おお、蓋をしました。ちなみに先輩、そうめんゆがきにタイマーは使わない派みたいです」
「……」
「ここで冷蔵庫を開けました。中には氷水を張った器と、めんつゆとねぎの入った小鉢。準備万端といった風情です」
「……」
「あ、生卵ですか? ……うーん、そうですねえ。お願いします」
「……」
「おおっと、お盆や食器を並べているうちに、鍋がふきこぼれそうになっちゃってます。間に合うか!? 手が伸びる! 素早く蓋を外す! 間髪入れずにびっくり水! くーる! くーるです! 先輩大好き!」
「……」
「ごめんなさい、取り乱しました。……もう一度蓋をして、次に噴き上がってきたら火を止める、ということですね。そうめんの茹で方一つにも、色々流派がありそうです」
「……」
「さて、今回は時間が短いですよ。先輩が何を為すかに期待が高まるところですけど……ん。お漬物のタッパーが登場しました。白菜、胡瓜の浅漬け。こちらは昨日、私が何となあくで買ってきた一品だったりしちゃったり」
「……」
「おお、頃合いですね。火を止めて、ダイナミックに鍋を持ち上げ、片手にはざる……行ったぁーっ!」
「……」
「水切りは大事なポイントですよ。流水に晒して手で洗い、冷やしながらぬめりを取る。……こんなご時世ですし、ぬめらないそうめんとかもあるのでしょうか? あるかもですし、ないかもですね」
「……」
「ちなみにですけど、茹でた直後のそうめん。思いもよらないほどに熱いので、火傷にはお気を付けあれ」
「……」
「十分に洗った後は、もう器に放り込むだけ。きっちり二分するのは難しいですが……あ、先輩。私の分は、そのぐらいで構いませんよ」
「……」
「諸々纏めてお盆に乗せて、はい、完成です! これからはもう、涼しい部屋でいちゃいちゃしながら食べるだけ。えへへ、楽しみですよ」
「……」
「現場からは以上です。先輩、お疲れ様でした」
「ああ。待たせたな」


◆【2060719】
「な、なつ……」
「うむ」
「なつ、やす」
「その調子だ」
「なつ、やす……み」
「遠慮をするな」
「っ、――なつ! やす! み! だーっ!」
「よくぞ決断的に言い切った。……おめでとう、の言葉を贈らせて欲しい。君はこれより、夏休みという名の時間空間、熱い熱い風が光を孕んで吹き渡り、全ての刹那が永遠の相へと転ず、狂おしくも愛おしい、儚くして悠久たる、あの時空に足を踏み入れることになる」
「ええ、ええ……っ。毎年毎年繰り返し、でもそのどれもが二度と戻ることがない。一秒一秒、そのぜんぶが灼熱の空気に溶けてゆき、空の果たてに、雲のかなたに、私達はそれを追い想う。何もかもが記憶の中で、でも記憶の中では永遠で。そんな季節、たったの一間、それこそが夏休み。そしてそんな夏休みが、今年も来てしまったのです。来てしまったのです……!」
「ああ。生憎なことに、俺は高校生ではないのだが……ならばこそ、俺の分まで、今年も謳歌して欲しい」
「それは、……ん、……あの。先輩」
「どうした」
「言っても仕方のないことなのです。何の意味もないことなのです。それでも、私は、いつも思っちゃったりしちゃうのですよ。……先輩と、私が好きな先輩と、一緒の時間を過ごせていたら、と。先輩と私は高校生で、先輩は高校二年生で、私は高校一年生で。そんな高校生活を過ごせたのなら」
「……」
「……あは。ごめんなさい」
「何を謝る。俺も同じだ。然なる空想、妄想を、幾度脳裏に走らせたか」
「先輩」
「薄気味の悪いものであろうが、敢えて晒そう。授業の合間に廊下で歓談したかった。二人で昼食を取りたかった。図書館で並んで本を読むなどしたかった。君と茜色の帰り道を共に歩いてみたかった」
「う、えと、じゃあ、先輩。……私と先輩の制服を、交換したりしちゃったりとか、そういうことも……?」
「すまん。それは考えてなかったな」
「そんな!?」


◆【20160723】
「トランスフォームしたいなあ」
「……」
「ん。しちゃいましょうか」
「……」
「よいしょっと。……ふう、トランスフォーム完了です」
「……。土下座の如くに片方の肘と両膝を突き、残る片腕を斜め上に伸ばして五指を広げているようにしか見えないが、何だ、それは。何に変形した?」
「バケットホイールエクスカベーターです。地球最大の重機です。強いですよ?」
「そうか。では」
「うわっ、ごろんって転がされたっ! 大事故だーっ!」


◆【20160724】
「そうめん……そうめんですよ」
「そうめんか」
「そうめんは、いいのです。ええ、いいものですよ」
「う、うむ」
「そうめん、それは夏。触れ合いからりと鳴る氷、つけだれの小鉢で薬味と絡ませ、一気に啜り上げちゃう清涼感。……まあ、一人で食べているときは、もろもろ面倒臭くなってしまって、いつもぶっかけにしちゃいますけど」
「致し方なきことだ。洗う皿が一つ増えるということは、人生における辛苦が一つ増えるということを意味するからな」
「ですですよ。流石は先輩、分かってらっしゃる。……ええと。兎にも角にも、そうめんです」
「兎にも角にも、そうめんか」
「この熱い熱い風が吹く季節、敢えてにゅうめんもいいものですね。冷房をがんがんに効かせた部屋で、しいたけと鶏肉の入ったにゅうめん啜り、その熱さを飲み下し、今自分が生きているということを自覚する。ええ、これぞまさしく文明です」
「異論はないな。然り、夏に食するにゅうめんはよい。盛夏において、汗噴きつつも掻き込む水炊き鍋が、冬のそれにも劣らぬ程に快きものであるように」
「鍋、おなべ……ああっ、先輩」
「どうした?」
「鍋料理と言いますと、しめにそうめんを使うのも、なんだかよかっちゃったりするのですけど。先輩、お試ししたことありますか?」
「何を馬鹿な。あるに決まっているだろう」
「お、おお……! 別にかっこよくも何ともない事柄なのに、かっこよさげに言い切ってしまうその胆力……!」
「最善手が鶏鍋の締めであることは疑えないが、豚バラ鍋でも悪くなかった。もつ鍋にさえも適した。……俺が思うに、そうめんとは、豆腐に似た環境適合能力を持つ物体だ。その意味で、そうめんは万物にさえも通ずる」
「おお!? おそうめん、思った以上の高評価!」
「尤も、木綿豆腐は億万物に通ずるが」
「どれだけお豆腐好きなのですか!?」


◆【20160725】
「先輩」
「うむ」
「せんぱーい」
「ああ」
「先輩先輩先輩せんぱい、先輩先輩せーんぱいっ」
「うむ……」
「……先輩?」
「いや、特に意味のあることではないが。……『後輩』は『先輩』を『先輩』と呼ぶ。しかし、『先輩』は『後輩』を『後輩』と呼ぶことはない。そうした事実なるものに、ふと気付いてしまってな」
「ん、あー。なるほど確かに、言われてみれば。……そういえば、『お兄ちゃん』という呼称もありますけれど、世の中の『兄』は『弟』を、別に『弟』とは呼びませんよね。『弟子』も『師匠』のことを『師匠』と呼んだりしますけれど、『師匠』は『弟子』に『弟子』と呼び掛けたりはしません」
「そうだな。……この国の古において、上位者を名前で呼ぶのは禁忌であるとされていた。官名、つまり肩書きで以て呼称せねばならなかった。その名残なのかも知れん」
「ああ、はいはい。平安時代の日記とか、個人の名前は全然出て来ませんよね」
「そういうことだ」
「でもね、先輩」
「どうした」
「歴史的な由来は抜きにして、目上とか目下とかも抜きにして、単純に。……先輩のことを先輩ってお呼びするの、私はなんだか好きなんですよ」
「……そうか」


◆【20160726】
「お味噌汁が飲みたいなあ、って思ったんですよ」
「味噌汁か。基本であるが、だがそれ故にいいものだ」
「ええ。朝はトーストとカップスープで済ませちゃうことが多いですけど、白ご飯とお味噌汁という食卓は、一つの理想ではあるのかなあと」
「うむ」
「それでですね。入れたい具材を考えていると、まずはやっぱりお豆腐で」
「つるりとした白肌が、味噌の濁りに映えるだろうな」
「ちょこっと食べ応えも欲しいので、油揚げも使いたいなと」
「噛めば熱い汁が染み出してくる、あの食感は魅力的だな」
「……と。そこで思ったのですけれど、油揚げを投入しようと思ったら、作業が一つ増えちゃうじゃないですか」
「油抜きだな。熱湯に浸しておくのだったか」
「ですね。お味噌汁用なら、お湯を掛けるだけでもいいのですけど」
「ふむ。何にせよ、手間であるには違いがないか」
「と、いうわけで。これ以上の具を追加するのも面倒なので、お豆腐と油揚げだけのお味噌汁になっちゃいました。お味噌に豆腐に油揚げ、混じり気なしの大豆です。もはや大豆のグランドクロス現象です」
「悪くないと思うがな。……彩りを求めるのなら、薬味葱を散らせばどうだ?」
「う、ううん。でもですよ、先輩」
「ああ」
「大豆ばかりの環境で、ねぎがいじめられたら大変ですし」
「何の心配をしているんだ……?」


◆【20160729】
「今更ですけど、先輩」
「ああ」
「先輩と、後輩なわけですよ」
「違いないな。君は俺の後輩で、俺は君の先輩だ」
「先輩と後輩同士で、それでなおかつ、恋人同士なのですよ」
「それもまた、相違はないな」
「はい。もちろんぜんぶ事実ですし、忘れたりなんかもしれませんけれど。……それでもいつも、ちょこっと感じちゃったりはしちゃうのです。まるでフィクションみたいだなあ、って」
「フィクション、か。漫画か恋愛小説か何かのように、現実感が伴わない、ということか?」
「現実感がないわけじゃないのですけど、……こう、普通の人間関係とは何かが違うと言いますか、自分が物語の登場人物みたいに思えて、上手く説明出来ませんけど、そんな感じで」
「……。それは、良いんじゃないか」
「いい、ですか?」
「フィクションならば、フィクションなりに、それで……それはそれで、良いのではないかということだ。フィクションのような関係性で、フィクションのような恋情により繋がり合って、それでも君と俺とはここにいる。先輩と後輩として。恋人同士として」
「……先輩」
「君と俺とが紡ぎきたもの。残した足跡。それらは幻でも何でもないが、君がフィクションのようだというのなら、俺は――」
「……」
「――俺は。それは、楽しみ甲斐のある、一級品のフィクションであると思う」
「……ん」
「すまん。上手く伝わっていないかも知れん」
「あはは。いえいえ、大丈夫です。……じゃあ、先輩」
「ああ」
「フィクションだったら、フィクションなりに。もっとフィクションみたいなことごとも、これからいろいろ、しちゃいます?」
「お手柔らかにな」


◆【20160730】
「うあー……」
「うむ」
「せんぱーい。今、牛乳ってありましたっけー……?」
「あるな。コーヒーも紅茶もあるが、牛乳そのままがいいのか?」
「はい、冷えた牛乳。ぐいっとやっちゃいたいのです」
「すぐに注ごう。待っていろ」
「ふふふ、はーい。……ねえ、先輩?」
「どうした?」
「何だか凄く、気分が温泉なのですよ」
「それはまたぞろ、唐突に」
「でもですよ。休日の夕方で、空は褪せた水色で、お風呂上りでクーラーで、だらしない格好でごろごろしてて。きっと温泉旅行の醍醐味って、こういうことだと思うんですよ」
「……ふむ。故に牛乳ということか」
「まあ牛乳は、どっちかといえば銭湯ですが。こう、包括的なお風呂概念と言いますか。兎にも角にも、そういう気分なのでした」
「なるほど。まあ、夏だからな。仕方なかろう」
「ええ。仕方ないのです、夏だから」
「ならば俺も、君の『包括的なお風呂概念』に肖ってみるとしよう。……うむ、休日の夕刻、湯上り、涼しく快い環境の部屋、そして牛乳。悪くない」
「ふふふ。……何だかいいなあ、こういうの」


◆【20160803】
「カップラーメン。罪の塩気と罪の糖質。大罪ですよ」
「……塩分過多の代名詞的食品ではあると思うが、そこまで言うか」
「ええと。こう、『カップラーメンを作って食べる』という行為、それそのものが、何だか深く罪深いことなんじゃないかなあ、と」
「詳しく聞こう」
「逆に質問しちゃいますけど、先輩、あんまり召し上がりませんよね? カップラーメン」
「……。そうだな。言われてみれば、常日頃、購入する機会はない」
「どうしてですか?」
「ふむ。……第一に、経済的ではないからだ。ラーメンを食べたいのなら、袋入りのインスタント麺、或いは生麺を買えばいい。具材分を差し引いても、カップラーメンよりは安く付く」
「お湯を注げばいいだけ、という利点もありますけれど」
「そもそもそれを、利点であると感じたことはない。鍋に湯を沸かす手間を惜しむ程、差し迫った生活を送っているわけではないからな」
「……ん。流石は先輩。まさしく私が言いたいことを、きっちりばっちり、言葉に落として下さいました」
「そうか」
「だから、つまりですよ。先輩」
「あ、ああ」
「別に安いわけじゃない。別に便利なわけでもない。……だったらカップラーメンは、『袋麺じゃなく、生麺でもなく、敢えてカップラーメンを食べたい』と思った時にだけ手にする、一種の贅沢、退廃的な嗜好品みたいなものとは言えません?」
「ふむ……」
「安くはない。便利でもない。ついでに言えば身体に悪い。でも食べちゃう。これが罪でないのなら、何が罪だというのでしょうか!?」
「な、なるほど。言われてみれば、君の言う通りであるような気もする」
「ええ、ええ。微妙に蓋を剥がした容器の中に、お湯をたぱたぱ注いじゃう。テープでぴりっと封をして、三分間をぼんやりと待つ。……その時私は、いつも思ってしまうのですよ。ああ、いけないことをしているなあ……って」
「いけないこと、か」
「あはは。おかしいですよね。私、カップラーメンを作るのなんか目じゃない程に、もっとずっと、いけないこともしちゃってるのに」
「……」
「先輩に、いけないこと、されちゃったのに」
「……」
「いけないことは、三分間じゃ、すみませんよね?」
「……まあ、そうだな」
「っ、……あは、あははっ。もうっ、かわいいなあ先輩は……!」


◆【20160804】
「油揚げ……油揚げ、うーん」
「薄切りにした豆腐を油で揚げた食材の名を呟きながら、一体何を思い悩んでいるというんだ、君は」
「ああ、ええと。油揚げをオーブントースターで焼いちゃえば、油抜きのかわりになるし、かりっとなって食材としての幅も広がる……という情報を、ちょっと小耳に挟んじゃいまして」
「なるほど。聞くからに美味そうだ」
「先輩のことですし、『油揚げを焼いて大根おろしとねぎを乗せ、醤油を垂らせばビールに合うぜ、げっへっへ』とか、考えておられるに違いないです」
「全く以て、何たる非道なレッテル貼りであることか」
「違うんですか?」
「……違わんが」
「認めちゃうんだ……」
「俺のことはさておけ。して、何だ。つまり君は、油揚げを使った献立について悩んでいたと?」
「あ、いえ。実のところ、本題はそこではなくて」
「ふむ」
「今後、先輩に、油揚げを使ったごはんを食べて頂く機会もあるでしょうし。ひとつ真面目に、考えておくべきことがあっちゃうなあと」
「つまり?」
「ねえ、先輩。……油揚げのこと、『あぶらげ』って呼んだ方が、かわいいと思って頂けますか?」
「よ、要検討の案件だな、それはまた……」


◆【20160814】
「夏はあついし、だるいのです。なまけちゃいたいことですよ」
「うむ」
「ごはんについては、特にそうです。凝った料理は以てのほかで、そもそもあんまり食欲もなく、ついつい疎かにしちゃいがちです」
「真理だな。致し方なきことだ」
「でもですよ、先輩。……だからと言って!」
「だ、だからと言って?」
「野菜は食べなきゃ駄目なのです。夏だからこそ、繊維やビタミンその他諸々、積極的に摂取しなくちゃいけないのですっ」
「あ、ああ……」
「そういうわけで、不肖、後輩。先輩の野菜不足を解消せんと、白菜四分の一カット、これから丸ごと御馳走します!」
「何と、また。巨大なものだが、如何にする?」
「おひたしにします。欠片も残さず、おひたしに仕立て上げます」
「おひたしか」
「ええ。おひたし以外のあらゆる概念が通用しない程、完膚なきまでにおひたしですよ」
「了承した。では、調理を頼む」
「はいっ。……まずは切ります。ざくざく切ります。壮絶なまでに適当に切り刻みます」
「ざく切りの菜が積み上がり、薄緑色の小山の如し。壮観だ」
「お次にこれを、沸かしたお湯に叩き込みます。それはもう、軽率に」
「軽率に」
「ところで、先輩。白菜を煮込むとなると、先輩の場合、くたくたなのがお好みだとは思いますけど……」
「まあ、そうだな。殊に鍋料理であるのなら。……しかし、それでは駄目と?」
「駄目とまでは言えませんけど、おひたしですから。芯が残っているぐらいが美味しいかなと」
「任せよう」
「ん。……さっとお湯を通したら、網杓子でざるにあげます。そうめんよろしく粗熱を取り、そしてそれから、」
「それから?」
「絞ります」
「ふむ。絞るのか」
「ぎゅぎゅっと。ぎゅぎゅぎゅっと。処刑執行官レベルの無慈悲さで」
「縊り殺すのか……」
「遠慮容赦はいりません。あたかも復讐を遂げる鬼の気持ちで、きっちりしっかり絞ります。……ぎゅうーっ、とっ」
「何たる情念。何たる怨念」
「……ふう。出来ました」
「ふむ」
「白菜のおひたし、完成ですっ。ひたしてませんが、おひたしですっ」
「おひたしだな、ひたしていないが。お疲れ様だ。……だが、これは」
「あはは。何を仰りたいのかは分かります。四半株ぶん、あれだけあった体積が……」
「うむ。……いかにも随分、こじんまりとした姿となった。儚いものだ。この世の無常を偲ばざるを得ん」
「あ、あはは。ここで悟りを開かれちゃったら困りますから、手早くタッパーに詰めましょう」
「タッパーの裡の小宇宙……、か。哲学的な……」
「先輩の様子がおかしい!?」
「すまん。取り乱した。……しかし、本当に手早かったな」
「あー。軽く湯がいて、水気を切っただけですからねえ。正直言って、料理と呼べるのかどうか……」
「そんなことはない。重要なのは過程の複雑さでなどなく、目的に適しているかだろう。この場合、『手軽に野菜を摂取する』という意味合いのもと、立派な料理と呼び得るさ」
「ん。……うぅ、もう。先輩のそういうところ、ほんとに大好きなんですよ」
「相思相愛で何よりだ」
「えへへ。……さあ先輩。折角作ったわけですし、早速二人で食べちゃいましょう。醤油にしますか。めんつゆにしますか。それとも、ぽ、ん、酢?」
「フルコースでいくとしよう」


◆【20160814-2】
「白菜のおひたしは、冷蔵庫にしまっておけば、二日三日は大丈夫です」
「助かることだ。……既に三分の二は食らい尽くしてしまったが、それはさておき」
「簡単ですし、また作ればいいのです。……使い道もいろいろですよ。調味料をかけて食べるもよし、麺類の具にするもよし、ごはんにのっけてみるのもよし。おつまみとして、胡麻油と白胡麻をふりかけてみるのもよし」
「素晴らしい。言葉もない程素晴らしい。久方振りに、日本酒でも買って来ねばな」
「あはは。私はお酒は飲めませんから、ほろ酔いの先輩を眺めて楽しみましょう。……それと、先輩」
「うむ」
「さっきおひたしを作った折に、敢えて残しておいた茹で汁ですよ。これも忘れちゃいけないのです」
「なるほど。栄養分が溶け込んでいそうではある」
「栄養的にももちろんですが、こう、単純に、おいしいのですよ。お塩や醤油を垂らしたりして、そのまま飲むのも結構ですが……」
「ああ」
「先輩のお好みですと、白菜の茹で汁を使って、湯豆腐なんかはいかがかなあと。邪道かも知れませんけど、厚切りベーコンを入れてみるのもいいかもです」
「白菜の出汁、豆腐、ベーコンか。……ポトフに似た味わいになるのだろうか。少し想像巡らすのみで、涎を抑えられない心地になるな」
「ええ。お試しあれ」
「ああ。必ずや」
「ん。……えへ。えへへ」
「どうした」
「だって、だって。大好きな先輩に、おいしいごはんを食べて頂く。後輩として、こんな嬉しいことって、ちょっと他にはないですよ」
「……その文言。この胸に刻ませて貰おう」


◆【20160815】
「ひたしてないけど、おひたしですよ」
「うむ」
「……いいのでしょうか。ひたしてないのに、おひたしで」
「そのところだが。本来的な『おひたし』は、文字の通りに、『浸す』過程を含んでいたそうだ。茹でた野菜や海産物を、調味酒などを混ぜた調味液に漬け込むらしい」
「あー。なるほど。今ではひたさないおひたしも、本当は、ひたすものであったわけですね」
「そのような、『おひたし』の名を持つ料理は、この国のいにしえ、奈良の御時には存在していたとも聞いている」
「ふむふむ。和食として、由緒正しいものなのですねえ……」


◆【20160819】
「突然だが、昔の話をするとしよう」
「おお。いつもおなじみお楽しみ、昔語りのお時間ですね。……さあて、先輩。此度はいつのお話ですか。枯れた青春きらり煌く、大学時代のお話ですか?」
「いや。それよりは前の話題だな」
「う、ううん。じゃあ先輩、ひょっとして、高校時代や中学時代のお話を……?」
「それより前だ」
「え、ええっ。でしたら先輩、ひょっとしてもしなくても、幼年期の想い出語りをしてしまったりしちゃったり……!?」
「残念ながら、それよりもまだ昔だな」
「つ、つまり……?」
「うむ。……あれは、そう。確か、アノマロカリスが生態系の王であった折のことだが――」
「カンブリア紀! オットイア! オパビニア! 約五億年前っ!」


◆【20160820】
「……んっ?」
「どうした」
「あ、いえ、ごめんなさい。ちょっとこう、思い付きが」
「聞かせて貰おう」
「大したことではないのです。わざわざお話しするような内容では……」
「……珍しいな。君がそのような焦らし方をするとは」
「じ、焦らしてなんかはいないのですが」
「もはやこちらも引き下がれんな」
「うう。じゃあ、言いますけれど……。本当に、面白くも何でもないのですよ?」
「構わんさ」
「そのですね。……どんな高額のお買い物をしたとして、『お釣りで一万円札が返ってくることは絶対にない』のだなあ、と」
「……なるほど」
「だから言ったじゃないですか! 面白くないって!」
「いや。驚いていた。一万円を額とする紙幣は、日本銀行券において最高の価値を持つものだ。五万円札や十万円札がない以上、一万円札は釣になり得ん。……当然のことと言えばそうだが、何やら新鮮な感覚がある」
「そ、そうかなあ……?」
「こうした気付きは、世界に新たな光を投げる。うむ、流石は君だ」
「うぁ。くすぐったい、くすったいですって」


◆【20160821】
「始まりがあれば、必ず終わりもあるものです。……多分、きっと、そうなのですよ」
「ああ」
「始まって、まだ終わっていないものがたくさん。何もかもが、果たてへ向かう道の途中。先輩も、私も、先輩と私のあいだのことも」
「……そして、君にとって、何が終わりを告げたのだ、と?」
「終わったと言いますか、終わり掛けていると言いますか」
「ふむ」
「つまりですね。最近は、あんまりやってなかったりするのです。『先輩だいすき儀式』」
「そうなのか」
「はい。儀式なんかしなくても、私は先輩が大好きですし、先輩も私を大好きでいて下さると思いますから」
「ああ。……その『先輩だいすき儀式』とやらの全貌は、遂に俺の知るところとはならなかったが」
「あはは。知らないままにしておいた方が楽しい。そういうことって、きっとあるのでしょうから」
「なるほど。そう思うことにしておこう」
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