彼:
男性。二十三歳。大学では原始仏教について、哲学的なアプローチによる研究を行っていた。

後輩:
女性。十五歳。得意な科目は国語。苦手な科目は英語と理科系統。数学は兎にも角にも滅ぼしたい。


◆【20160324】
「なんだかふとした瞬間に、感傷の風に吹かれたくなっちゃいまして」
「ああ。あるな、そうした折は。ましてかくなる季節と季節の狭間には」
「意味もなく、わけもなく、でもどうしようもなく。ただただ風に吹かれていたい……」
「うむ」
「そういうわけで、扇風機を出してみたのですけれど」
「……扇風機を」
「一番弱い風にして……」
「……一番弱い風にして」
「寒かったのですよ……」
「……感傷というよりは、御愁傷様というべきか……」


◆【20160326】
「ぶいえっちえす」
「ヴィデオホームシステム、だな。ビデオ規格は他にもあるが、事実上、『ビデオ』といえばこれを指す。随分と長い年月、映像記録媒体の代名詞となっていた」
「でぃーぶいでぃー」
「デジタルヴァーサタイルディスク、だな。陳腐な豆知識だが、決してデジタルヴィデオディスクではない。映像記録の機器として、今では最も一般的になっているものだ」
「びーでぃー」
「ブルーレイディスク、だな。DVDの後継として開発された、最新の光ディスクだ。とは言えど、普及状況を眺めてみれば、未だDVDに分があるように思われる。……アニメコンテンツなどにおいては、ブルーレイ版にのみ豪華な特典が付く、といった商売方法も見られるが」
「なんだかずいぶん詳しい解説、お疲れ様でした。……ところで、先輩」
「うむ」
「ビデオテープという媒体は、もう遥かに昔のものなのに」
「そうだな」
「えっちなものに関しては、何故だか未だに、『アダルトビデオ』なんですねえ」
「……い、言われてみれば」
「のすたるじっくな残り香を今に伝える、浪漫溢れる呼び方なのかも知れません」
「……そうだろうか……?」
「ぶいえっちえすには、えっちが含まれちゃったりしてますし。やっぱりビデオは、えっちなものの代名詞として――」
「待て、よせ。そうした物言いはやめておけ。日本ビクターから刺客が来るぞ」
「大丈夫です、先輩。その会社はもうありません」
「知らなかった……」


◆【20160328】
「人は誰しも、心の裡に混沌の国を飼っているものかも知れん。困惑、焦燥。赫怒と憎悪。それらは絶えず渦を巻き、嵐のように吹き荒れているものかも知れん」
「混沌の国……」
「そしてそれらは、ことあるごとに暴威を増して、城塞を食い破り、外へとまろび出づらんとする。或いはどうしようもないことなのだろう」
「ええ。……慌てたり、焦ったり、怒ったり、憎んだり。それは止められようのないもので、それそのものを制御することはできなくて。きっと仕方のないことなのです。時には怒鳴り散らしたくなったり、暴れたくなったりすることもあるかもですね」
「ああ」
「でも、それでも、私たちは、どうにかこうにかそれを抑えて、何食わない顔で生きてゆく。心の中の混沌の国から、溢れ出させることのないように、と」
「うむ……、うむ」
「……先輩。何か、怒っていることがあるのですか?」
「……。粗雑な物言いにはなるのだが、切れているな」
「き、切れ?」
「切れているというべきか、寧ろ切れぬというべきか」
「む、ふむむ」
「つまりだな。――何が、『こちら側のどこからでも切れます』だ。切れないじゃないか!」
「マジックカット! マジックカットーっ!」
「そもそも『どこからでも切れる』という商品仕様に、何の意義があるというのだろうか。わざわざ袋中ほどからソースや醤油を開封するメリットが、この世の何処かにあるとでも?」
「あっ、正論だ!?」


◆【20160329】
「……こんなこと。今更言っても仕方のないことだって、それはちゃんと分かってはいるのですけど」
「ああ」
「何と言いますか。――何で、どうして、悪いことって、なくならないんでしょうね?」
「……なるほどな」
「悪いことだとされているなら、しなければいいだけの話じゃないですか。いえ、それは百歩譲るとしても、せめて邪悪は裁かれるべきじゃないですか」
「うむ。何も犯罪行為に限った話ではない。それが軽微であれ重大あれ、悪行を為す者はこの世に多い。そしてまた多くの者が、一切の罪咎なくして生きている」
「……」
「何故だろうか? それは法典や倫理そのものが人を裁くわけではないからだ。人を裁くのは常に人であるからだ」
「んう……」
「法も正義も、人によって行使される手段に過ぎん。人は見落とす。人の行いは利害関係により揺り動かされる。万人を監視し万人を裁くものなどいない。この世に神などいはしない」
「……はい。いたとしても、神は人を裁くつもりがない。たとえいるのだとしても、人を裁く力なんかない」
「そういうことだな」
「だったら、やっぱり。私たちは、あらゆる悪から眼を背けていたいのだとしたら……」
「ああ」
「……鉱物かなにかに生まれ変わって、深海で一生を送るしかないのでしょうね」
「そうだな。熱水噴出孔を構成する岩石などに」
「ねっすいふんしゅつこう……」
「うむ」
「……じゃあ、先輩。熱水噴出孔ごっこ、しましょうか」
「するしかないな。やるしかないな」
「こおおぉぉお……」
「こおぉぉぉ……」


◆【20160330】
「たった一つの真実見抜く――」
「ふむ」
「身体は蛮人! 心も蛮人! その名はキンメリアのコナン!」
「犯人を全て斬り殺しそうだが、大丈夫なのか、その探偵は」
「いやー、懐かしいですよねえ。さかのぼること三十年前にも、アニメが放映されてましたっけ」
「それはまた別のコナンだな。某アニメ映画監督の初監督作品として知られるコナンだな」
「簡単なことだよ、サボタイ君」
「ネタも酣といったところではあるが、そろそろ色々厳しいぞ。この辺りにしておけ」


◆【20160401】
「――っくしゅんっ。きゅうーん」
「……!?」
「あ、ごめんなさ、――っくしゅっきゅおーん」
「か、風邪……なのか……?」
「うぅ、みたいですっ――きゅいぃーんがしゃんがしゃん、ごごごごご」
「もはやくしゃみですらないな!? 何だそのロボットが起動して鋼鉄の脚で大地を歩みあまつさえブースターで飛行するが如き音声は!?」
「ふぁ、……っくしゅ。はい、ふざけすぎました」
「やれやれだ。……寒暖差の激しき季節、体調を崩すのも無理はない。直ぐに薬を出すから、待っていろ」
「うー……すみません……」
「なに。常日頃、世話になっているのは俺の側だ」
「えっと、じゃあ、――っくしゅ、先輩」
「うむ」
「もしもこのまま、私のぐあいがひどくなったら……」
「ああ」
「その、お粥、とか」
「……その機会が訪れぬに越したことはないのだが、まあ、必要に迫られたらな」


◆【20160404】
「……ん。零時、過ぎましたね。日が変わっちゃいました……」
「うむ」
「あの、先輩」
「何だ」
「ごめんなさい。本当にごめんなさい。先輩の休日ぜんぶ、まるっきり、つきっきりで看病して頂いて」
「……こら」
「っ、にゃ……」
「卑怯な問いであるとは理解しているが、この際だ。敢えて言わせて貰うとしよう。……君が俺の立場だったらどうする。君は俺を捨て置くか? そのように出来るのか? そうでないと良いのだがなと、俺は希っているのだが」
「……あう」
「……。すまん、過ぎた物言いだったな」
「やっ、ちが。そんなこと――」
「ともあれ俺は、君に謝罪して欲しくなどない。それは理解して貰えるとあり難い」
「……っ。先輩」
「……」
「……ねえ、先輩。だったら私は、こう言います。ありがとうございます、と」
「うむ……」
「私の熱も、ほとんど下がっているということですし」
「そうだな。大事を取って、明日、否、今日は安静にしているべきであろうが。春休みなのが幸いしたな」
「はい。……先輩。お粥も、氷枕も、それからお風呂代わりの熱いタオルも。ありがとうございました。それに嬉しかったのです。ほんとに、ほんとに」
「当然のことをしたまでだ。また言えば、君が健康であることこそが、俺個人の身勝手なる欲望さ」
「でも、だとしても、なにかお礼をしませんと。……たとえば、そう、」
「いやらしい行為以外でな」
「まさかの先読みかうんたーっ!? 居合道の業前か何かですか!?」
「……ふ」
「……あはっ。あははっ」


◆【20160408】
「進学とか、就職とか。そう遠くない未来のはずなのですが……」
「実感が湧かぬのだ、と?」
「はい。……インターネットを歩いてみれば、就活サイトの広告の海。本屋に新刊を覗きにいけば、大学入試のの過去問の山。何をどう焦っていいのかも分からないのに、ただただ急かされているような気分になって」
「なるほど」
「ただぼんやりと、大学に行くのかなあ……とは思っているのですけど」
「そういうものだ。それでいいのさ」
「ん……」
「為すべきことを為す時は、何時か必ず訪れる。だが今はまだその時じゃない。ならばこそ」
「その日が来てから考えればいい、ですか?」
「うむ。不思議なことに、それで何とかなるものだ。必要に迫られる時期が訪れたなら、自ずと準備も出来てこよう」
「……ん。分かりました、先輩」
「ああ。――だが、敢えて言うのなら」
「おお、何ですか?」
「映画を観たり、美味いものを食したり、時には午睡を貪ったりと。当たり前に生きててゆくこと、そしてそこに楽しみを見出してゆくことこそが、来るいくさの備えとなろう。そうして英気を養うことだ」
「あはは、先輩らしいやり方です。……じゃあ、さっそく」
「ああ」
「DVDでも借りにいきませんか、先輩? ジュースなんかも買っちゃって」
「望むところだ。して、ジャンルはどうする」
「そーですねー。この際ですし、あんまり見たことがないジャンルとか……」
「うむ」
「……やくざ映画ぐらいですかねえ?」
「やくざ映画ぐらいだな……」


◆【20160408-2】
「いいですよねー……」
「何がだ?」
「あと一時間後には寝るというところ、若干ばかりねむねむしつつぽやぽやしつつ、ジュースを飲んだりおかきをつまんだりしている、この不思議な空気のながれる時間……」
「ああ。形容し難い、独特の雰囲気があるものだ」
「ふふ。先輩とご一緒出来て、幸せです」
「これはまた、ストレートだな。だが俺も同様だ」
「さてさて、そういうわけで。不肖後輩、この至福の空間に、ひとつ華を添えさせて頂きましょうっ」
「何と」
「実は冷蔵庫にですねー……じゃんっ」
「……もしや、それは」
「はいっ。さけるチーズ二パックセット、スモーク味ですっ」
「流石だ。でかした。御馳走だ」
「さあ先輩。どんどん裂いちゃいますから、どんどん食べて下さいね」
「君は『人の為に肉の焼け具合を見るばかりして、自分では食べる暇がない焼肉奉行』か。……嬉しいが、きちんと自分の分も裂くがいい」
「あはは。はーいっ」


◆【20160409】
「画鋲の先で指の皮を突き刺して、縫い目みたいにするあれですよ」
「……懐かしいな。ああした愚かでかつも抗い得ない行いは、世代を越えるものなのか」
「お、先輩も。やっぱりやっちゃっていたわけなのですね」
「うむ。遠く尊いノスタルジアだ」
「まあ、私はやってないんですけどね」
「嵌められた……」
「でもでも、画鋲が指に刺さったという状況で、別の話ならありますよ」
「ふむ」
「そう、あれは小学生の頃でした。私は何かの都合で急いでて、渡り廊下を走ってまして」
「う、うむ」
「何もないところで足を捻って、躓いて」
「……」
「転んだ先に、壁からはがれた画鋲が転がっていて。私は咄嗟に、てのひらで顔を守って……」
「……!?」
「そのまま倒れて、手の甲側の指先に……ちょうど爪と指の境目に、――ぐさーっ! ……って」
「あ、……ああ……」
「いやー、あはは。びっくりしちゃいましたねえ、あの時は。針の部分は完全に指に埋まって、丸い部分だけが指にくっついているみたいになって――」
「――」
「あ、あれ。先輩。せんぱーい?」
「す、すまん、狼狽えていた。……聞いておきたいのだが、それはどちら側の手のどの指だ?」
「ん、えーと。左手の、薬指でしたね。確か」
「失礼する。手を拝借」
「んっ!?」
「……。跡はないな」
「っ、は、はい……」


◆【20160411】
「紫鏡」
「っ!?」
「赤い沼」
「ちょ、ちょっと……」
「イルカの島。血塗れのコ――」
「ま、待って! やめてくださいやめてください!」
「はは。すまん」
「はー、もう。……ねえ先輩、その都市伝説はですね、いろいろ繊細なんですよ? 流石に信じるような年齢ではないですけれど、昔は本当に怖かったですし。それに心のどこかでは、今でも怯える気持ちはちょこっとあって……」
「まあ、待て。現に俺は生きている」
「で、ですよねー……
「……だが、こうは考えられぬだろうか。俺が無事に生きているのは、『二十歳を越えてからこれらの言葉を知った』からだ、と」
「先輩ーっ!!」


◆【20160413】
「……先輩。あーるぴーじーって、なんだかおかしくないですか?」
「RPG。ロールプレイングゲームのことか?」
「ええ、対戦車兵器の方ではなくて。……ろーるぷれいんぐって、『役割を演じる』という意味だと思うのですが」
「ああ。それで正しい」
「でもですよ。別に何かを演じたりはしませんよね、RPGをプレイするときって。『主人公を動かす』ことを『ロールプレイ』というのなら、それは他のゲームジャンルでも同じことじゃないですか。むしろ主役に感情移入するという点でいうなら、恋愛ゲームの方がそれっぽいです」
「そうだな。RPGというジャンルネームは、名称の意味に関係がなく、『戦闘システムが反射神経を要求しない、かつキャラクタの成長要素があるコンピュータゲーム』を大まかに指すものとなっている」
「ええ、ですね。例外もあると思いますけど、おおむねのところはそんな感じで」
「ああ。……では何故にして、かくなる現状があるのだろうか。それはRPGの起源を辿れば理解出来よう」
「むむ、ふむむ。起源、ですか」
「うむ。……TRPG、即ちテーブルトークRPGは知っているだろうか」
「あー、はい。あのなんか、さいころを振るやつ。自分で作ったキャラクターになりきって、人と会話しながら進める的な」
「ではここで、何か気付くことはないか?」
「え、んと、……あっ。キャラクターになりきる……『ロールプレイング』!」
「流石、察しがいいな。TRPGとは、まさしく『ロールプレイングゲーム』そのものだ。……実を明かせば、もともとRPGとは、今でいうTRPGをこそ指し示す言葉であった」
「……あー、分かりました。たぶんですけど、TRPG……つまり本来のRPG、集まってやるアナログゲームがもともとあって。誰かがそれをモチーフにして、一人でも遊べるコンピュータゲームを作って――」
「――そしてやがては、コンピュータゲームが一人歩きを開始した。多用に進化してゆく歴史の中で、『役割を演じる』こととは何の関係もない、今日的なRPGの概念が普及した。またそれが広まり過ぎたが故に、嘗てRPGであったものは、TRPGと分けて呼ばれることと相成った」
「ふむふむ、ふむふむ。納得しました、合点いっちゃいました」
「うむ」
「……でも、うーん。そう考えると、なんだかちょこっと寂しいですね。本来存在していたものが、別のなにかに取って代わられちゃうなんて」
「確かにな。だが忘れ去られたわけではない。テーブルトークの愛好者は絶えていないさ」
「あはは。ですね」
「……ちなみにではあるのだが、TRPGのプレイにおいては、兎角行き違いが起きがちだ。最悪の場合、人間関係の崩壊にさえ発展し得る。であるが故に、あくまで『人と一緒に作るもの』という前提を忘れぬことだ」
「お、おお。なにやら生々しい警句……」
「TPRGでのトラブルは、おでんの具に関するイデオロギーの衝突にも似ているな」
「おでんの具に関するイデオロギーの衝突!?」


◆【20160414】
「うーん、おでん。おでん……おでんですかー……」
「呪詛の如くに連呼して、一体どうしたというんだ」
「いえ。……でも、あの。先輩」
「あ、ああ」
「いちおう聞いておきますけれど、おでんって、大根は入っていますよね?」
「あれがなければ、そもそもおでんと呼び得んな」
「ん。じゃあ、ゆでたまご」
「それもある。砕けた黄身が出汁に広がる、破滅の美学を蔑ろにしてはならぬだろう」
「串刺しにした、蛸の足」
「必須とは言えぬだろうが、あるに越したことはない。一息に噛み締めて、舌を焼くのが醍醐味だ」
「ですよね、ですよね。……あの、でしたら」
「うむ」
「あれは。あれはどうなんでしょう、先輩的に。私は結構、気に入っているのですけど……」
「あれとは」
「んと、えと。つまりですね……」
「怖気付く必要はない。言うがいい」
「――ぁ、……ぱら」
「……何だと?」
「あ、あすぱらっ。あすぱらがすっ!」
「……何、だと……?」
「ああ……これが、おでんの具に関するイデオロギーの衝突……!」


◆【20160415】
「……む」
「おお。先輩、お目覚めですか」
「……ああ、……すまん。意識を失っていたか」
「お疲れのご様子ですし、謝られることなんかないです。……でも、むふ。先輩がぼんやりしている、今このときこそがチャンスですよね」
「……?」
「ね、ねえ、先輩。寝落ちる前に、仰ってたじゃないですか。先輩、ねこになって下さるって」
「そうだっただろうか。だがそうであるのなら、そうすべきであるのだろうか」
「は、はい。そりゃもうやっちゃうべきなのですよ。やらなくちゃだめなのですよ」
「了承した。して、リアル系か、あざとい系か」
「あざとい系で!」
「では。――ねこさんだにゃーん。にゃん、にゃんっ」
「うわ、あわわ、あわわわわ」
「……」
「か、かわいい。かわいいかわいいっ。えげつないほどかわいいっ。いやらしいことしたいですっ。むしろもうすぐしちゃいますっ! ……って、あれ」
「……」
「……寝てる……」


◆【20160417】
「お帰りなさい、先輩。お買いものに行っておられたのですね」
「ただいま。……しかし、これは」
「えへへ」
「折り紙か。それもまた、随分小さい。……鶴、三方、手裏剣などは見慣れたものだが、この蝶は見事だな」
「一応、アオスジアゲハのつもりです。解説を見ずに折れるようになるまでは、ずいぶん苦労しましたよ」
「この輪っかは大作だな。何やら多くの紙を使っているようだが」
「それはユニット折り紙というもので、同じ形をたくさん作って繋げてます。この場合は、十六個」
「大したものだ。……しかし、知らなかったな。君がこのような特技を持っていたとは」
「あー。隠していたわけじゃないのですけど、自分の家で、一人でいるときの気晴らしに」
「……それは」
「いえいえ、重い話ではないのです。小さいサイズの折り紙用紙って、百円五百枚とかなのですよ。それに思った以上に折るのに時間が掛かりますから、暇潰しにはぴったりで」
「なるほどな」
「先輩も、いかがです?」
「鶴ぐらいしか折れぬが」
「十分ですよ。鶴折れる人も少ないです。ささ、どうぞどうぞ。金色の紙あげちゃいます」
「これはすまんな。一セットに一枚あるかないかの珍品ではなかったか」
「あはは、お気になさらず。私は銀のを使いますので」
「そうか。……では、鶴を折らせて頂こう」
「じゃあ、私も。……ん」
「……と」
「ここを……」
「……」
「んしょ、っと」
「こうだったか……?」
「……よしっ」
「うむ……」
「先輩、できました?」
「ああ」
「でしたら、私のと並べて置いてみましょう」
「……ふむ。これは」
「いいですねえ。神々しくて、でもかわいい」
「……。楽しいな」
「おおっ」
「すまん、よければ十枚ほど分けてくれ。無性に折りまくりたくなった」
「どうぞどうぞ。……むふふ、先輩。千羽、いっちゃいます?」
「それも魅力的だが、折角ならば、例の気持ち悪い鶴を教えてくれるだろうか。あの、名状し難き足の生えている」
「あー、はいはい。あれは簡単なんですよ。まずは普通に鶴を折り上げて、それから尻尾に切り込みを入れて――」


◆【20160420】
「日中、気温が上がってきているな」
「あー、ですねえ……」
「ようやく桜も散り果てようという頃ではあるが、既に何やら夏めいている」
「ですね。空は青くて、雲は白くて、光は遠くへ透き通り」
「そしてまた、あの風までもが吹いてきている。遥か彼方の世界から、熱を連れてくるあの風が」
「ええ。だから、先輩」
「ああ」
「きっともう、夏めいてきたどころの騒ぎじゃないと思うのです。夏ですよ、これはもう。事実上の夏ですよ」
「そうか。……いや、そうだな。夏だ。もはや夏に相違ない」
「ん……」
「ならばこそ、何か出来ることはないのだろうか。今が夏だというのなら――」
「ええと。――夏っぽい何かをやっちゃおう、と?」
「そういうことだ。可能であるなら、今この部屋にあるものを用いて」
「うーん、魅力的なご提案ですけれど。……ええと、冷蔵庫、キッチンストッカー……」
「……。そうだ、パスタだ」
「は、はい?」
「君の言葉で思い出した。乾麺の買い置きがあった筈だな」
「確かにパスタはありますが。でも夏にパスタって、冷製パスタとかじゃないですよね?」
「ヒント。夏祭り」
「なつまつ、……あー! あのかりかりに揚げたやつ!」
「正解だ」
「ええと、オリーブオイルおっけー、塩胡椒はもちろんおっけー、……いけますっ。いけますよ先輩!」
「すまないが、付き合って貰えるか」
「はいっ、もちろんですっ。夏ですから!」
「うむ。夏だ……!」


◆【20160421】
「春の終わり、夏の入り口。お散歩にはいい季節です」
「うむ。麗らかなる季節と季節の変わり目は、長く歩くのに心地良い」
「じゃあじゃあ先輩、さっそく出掛けちゃいましょう! ……と言いたいところですけど、今はもう夜なので」
「致し方あるまいさ。週末に持ち越すとしよう。……して?」
「気分だけでもということで、しみゅれーしょんしてみましょうか」
「うむ」
「降り注ぐ日は穏やかで、木立を揺らす風は優しくて。暖かくて、涼しくて」
「素晴らしいな。絶好の散歩日和だ」
「心も弾み、足取りも弾むというものです。ちょこっと浮かれ気味になるのもご愛嬌」
「ああ。折角ならば、普段は行かない場所を目指してみるのもいいだろう」
「ですね。じゃあ……風まかせに歩いていると、見たことのない場所に出ました。街の喧騒から遠ざかり、空がとても広く見えます」
「そういうこともあるだろうな」
「――すると。ふと、こちらを見ている人影があることに気付くのです。何だか赤っぽい気のする人影が」
「……。雲行きが怪しくなってきた気がするが」
「その不審な人物は、不思議なポーズを取ってから、決然とこう言いました」
「……」
「『レッドファイト!』」
「――!?」


◆【20160424】
「先輩って、お酒、お好きですよね?」
「……。正面切って肯うべきことでもないのだろうが、肯定の意を示しておこう」
「でしたらすこし、質問が。……ぷらいべーとなことかもですし、聞いていいのか分からないのですけれど」
「今更にして、何を躊躇する必要がある。答えるさ」
「ん、ええと。だったら、そのお言葉に甘えちゃいます」
「うむ」
「ねえ、先輩。――お酒って、何のために飲むのでしょう。飲んだら一体、どうなるというのでしょう?」
「……」
「あー、ごめんなさい。こういうのって、やっぱり繊細なお話でしたよね」
「いや。そういうことであるのではない。……ただ、どう説いていいのか分かりかねてな」
「ふむむ。わからない、ですか? それはどういう方向性の……?」
「……飲酒によって齎される効能は人によって千差万別のものであり、確定的に定義付けるのは不可能だ、というところだろうか」
「ふむふむ」
「大前提として、アルコールは意識レベルの低下を引き起こす。眠気に襲われ、論理的思考能力が損なわれ、感情の振れ幅が増加する」
「あー、はいはい。その辺りは想像している通りです。……言葉にすると、けっこうぶっそうですけどね」
「実際のところ、物騒なことではあるさ。だがその『物騒』の実態としての顕現は、誰にとっても異なっているといるということだ」
「笑い上戸、泣き上戸、怒り上戸、とかですか?」
「それも一面ではあると思うが、ステレオタイプな把握だな。そのように情緒が激化する者もいれば、逆に全てがフラットになる者もいる」
「先輩の仰った、『感情の振れ幅が増加する』という部分で、下に動くひともいるということですね」
「うむ」
「でしたら、えっと。『お酒の席では、本音が出やすくなる』という、よく言われがちなことについてはどうなのでしょう?」
「それについては、真っ向から否定しよう。なるほど確かに、韜晦していた感情を発露し、隠しておくべき事柄を喋るようになる者もいる。だが逆に、荒唐無稽な出鱈目ばかり嘯くようになる者もいる。或いは何も喋らなくなる者もいる。更にそれらの状態が、一者の内で入り乱れさえする」
「ほへー……。本当に色々なのですねえ」
「さて。これで、『飲んだら一体、どうなるか』という問いの答えにはなっただろうか」
「はい。ちょこっと分かってきました。『何のために飲むのか』についても、ここから導いていけそうですね」
「そうなるな。眠りに就きたいが故に飲む者。抑圧されていた想念を解き放ちたいが故に飲む者。哀しみや苦しみを殺し、平静になりたいが故に飲む者。馬鹿騒ぎしたいが故に飲む者。小説家などは、真面な精神状態では浮かび得ぬ発想を、酩酊に求めることもあるだろう。……単に酒が美味いから飲む、という真っ当な一面も、決して忘れてはならないが」
「……ん。ありがとうございます。何だか今日は、全く知らない世界に触れることが出来たような気がします」
「恐縮だが、役に立てたのなら幸いだ」
「じゃあ、先輩。……最後の最後に、一番だいじな質問を」
「来るがいい」
「先輩は。先輩個人は。お酒を飲むと、どうなりますか。何のために飲むのでしょうか?」
「……ふむ。申し訳ないのだが、その続きは酒の席でどうだろう」
「あはは。じゃあ私は、カルピスソーダでも頂くことにしましょうか」


◆【20160427】
「もしもし」
『ぁ、繋がった。突然ごめんなさい、先輩』
「構わないが、どうかしたのか」
『ええと。先輩、今お家におられます?」
「うむ」
『ああ、良かったです。でしたら今から、ちょこっと伺いたいなあと。ごめんなさい、すぐすみますから」
「ふむ。それも当然構いはせぬが……しかし、何か切羽詰っているようだ。一体どうしたというんだ」
『いえ、あの、それは……ええと』
「……。すまん、不躾だった。敢えて仔細を聞きはすまい。俺はこの後、外出の用事はない。いつ来て貰っても構わない」
『うぁ、そんなに気を遣って頂かなくても。大丈夫です、そんなに重い話ではないのです。……つまりですね、その、洗濯のタイミングを、ちょこっと間違えてしまってて」
「洗濯?」
『だから、あの。……今からお風呂に入ったら、次に着る下着がないんですよ』
「……それは、また」
『それで、確か先輩のお部屋に、何枚か置かせて頂いていた筈なので』
「……」
『だから取りに行こうかな、と』
「……」
『ああ、そうだ。もしよかったら、確認して頂けますか? ミントグリーンのと、白にドット柄のが置いてある筈なので――って、あれ、先輩。せんぱーい?』


◆【20160429】
「常識とは、何であろうか。当たり前とは、何であろうか」
「……ん。誰にとっても、そうであること。言うなれば、全人類にとっての等しい基準」
「ああ。……だが、そんなものがあるのだろうか? それは存在し得るのだろうか?」
「それは。先輩」
「ああ」
「生きてきた時間は短いですけど、先輩よりもずっと短いですけれど、それは私にも答えられます。……ありません。ないですよ。あるわけないじゃないですか」
「……ああ」
「嬉しさの基準も。苦しみの基準も。知っていることも知らないことも。出来ることも出来ないことも。何が成功なのかも失敗なのかも。ぜんぶぜんぶ、違うんです。人によって違うんです。同じでなんてないんです。常識なんかありません。当たり前なんかありません」
「ああ。ない。ないんだ。あるわけがない。俺達は誰も彼も一人だ。たった一人きりの世界を生きている。常識など、当然など、主観が創るただその者にとっての基準に過ぎん。……労働を苦しく思う者にとっては、毎日出勤していることが大戦果となるだろう。生きているのを辛く思う者にとっては、今生きていることこそが最高の栄誉であると称えられよう。それを否定することは、誰にも許されてなどいない」
「ええ。……それから、先輩」
「うむ」
「お酒をたくさん飲む人が、たった三日でもお酒をやめられたのだとしたら、それはその人にとっての成功であると言えますね」
「……はは。敵わんな、君には」
「あはは。……おめでとうございます。そして、お疲れ様でした。先輩」
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