彼:
テレビ放送のバラエティ番組が絶滅すれば、この世界は少しでも平和に近付くと考えている。
だがそういうことを考える度、「そもそも平和とは何か」と考え込む羽目になる。

後輩:
「ゆーちゅーばー」や「なまぬし」を滅ぼせば、この世界は少しでも平和に近付くと考えている。
だがそもそもそれらが一体何であるのか、正確なところは分かっていない。


◆【20160129】
『先輩、もうお帰りになってます?』
「ああ。つい先程な」
『ん、お疲れさまです。……今日は飲みに行ってこられた、ということでしたけど。やっぱり焼き鳥屋さん?』
「いや。変わった飲み屋を試してみようと思ってな」
『お、良いことですね』
「う、うむ」
『変わったお店といいますと、……異国風の、ばるみたいなところとか?』
「そうではなく、な」
『む。でしたらうーん、海鮮料理とか、炉端焼きとか、もしくは郷土の珍味ですとか……?』
「……いや。然なる特異なものでなどない。大した店ではなかったさ」
『ん、んむむ。もしかしなくても先輩、何だか濁されてます……?』
「……まあ、うむ」
『ん……』
「……」
『……』
「……。つまりだな」
『は、はい』
「ファミレスで」
『……え』
「……一人飲みを」
『……うわ』
「待て。釈明をさせてくれ。俺は君に一杯二杯引っ掛けてくると連絡をした。手持ちが心許ないことに気付かずな。されど言葉に違いたくはなかった――」
『あの。先輩』
「それに何より、君が想像している程は、ファミレスでの飲酒も悪くないものである筈だ。つまみに適する揚げ物の類が安く、アルコールも比較的価格が抑えられており、そしてこの時間帯は客も少なく――」
『落ち着いて下さい、先輩っ。責めてません、責めてません! ちょっとびっくりしちゃっただけですから!』


◆【20160130】
「あれですよ」
「ああ」
「いかにもなんともいかにもな、典型的な大学生グループって、こう、あるじゃないですか」
「……ああ。定食屋、ファミリーレストラン、ファストフード店が如き地帯で、しばしば観測されがちな」
「ええ。男の人が六人で、女性の方が二人とかの。そういう典型的な男女比の」
「生々しいな」
「それで、そういう人達が会話するのを、こっそり聞いてしまったりするわけですが……」
「うむ」
「上手く言えないのですけれど。そういうのって、本当にこう、気持ち悪いほど典型的なんだなあ……と」
「君の言わんとすることは分かる。痛々しいまでによく分かる」
「はい……」
「女性二名が、隅の席に固まっていてな」
「そうですそうです。全体の会話には参加しないで、スマートフォンを見せあってたりしてて」
「口数少なく、話題を振られるまでは沈黙を守る者がおり」
「そして何より、あれですよ。……むーどめーかーを自認しているのか何なのか、ひたすらお寒い物真似ですとか、おふざけみたいな喋り方とか、雑学本で知ったようなネタとかばかり、懲りずに披露し続けているひとですよ」
「……ああ……」
「それはもう、びっくりするほど徹底的に、そういうキャラを演じてて。……こういうのって、たぶん陰では、嘲笑われているんだろうなあ、とか」
「然なる手合いの者に限って、グループの仲の良きことを、定期的に強調しようとしていてな」
「あー、はいはい。ありますあります。まるでもう、皮肉なことに」
「うむ……」
「……そういうわけで、そんなグループを見るたびに、私はいつも、深く感じ入ってしまうわけなのです」
「ふむ。どのように?」
「ええ。――風流だなあ、と」
「――何たる歪んだ雅の心!」


◆【20160131】
「そこで私は、言ってやったわけですよ。――ラーメンに水菜が乗ってると、なにか特別なさっぱり感があるってね!」
「なるほど。状況を巧みに利用した、瀟洒と評せる返しだな」
「とかとかなんとか、そんなこんなで。……その、つまりはですね、先輩」
「まあ待て、皆まで言う必要はない。委細承知済みの事柄だ。……早速行くか、ラーメン屋へと」
「わーいっ。……ふふふ、先輩」
「うむ」
「今日はですねー、あごだしの気分なのですよ!」


◆【20160204】
「ポケットの中は、ティッシュペーパーだの糸くずだのと、とにかくそういうごみの類で、溢れちゃっているわけでして」
「ふむ」
「しかもそのポケットには穴が開いてて、大切なものがぜんぶ零れていっちゃうわけですよ」
「……ああ。床に」
「ええ。リノリウムの床にです。いやはや全く、いちばんのお友達です」
「無様に倒れ伏した折などは、頭を支えてくれるしな」
「それに何より、信じるに足ることを与えてくれるのです。いいですよねえ、リノリウム」
「うむ。リノリウムはいいものだ」
「ですですよ。リノリウムは……」
「……」
「……」
「……」
「……えっと。ところで、先輩」
「どうした」
「『ドラブリック』って、何でしょう。辞書では見付けられないのですけれど、地名かなにか……?」
「……ふ」
「笑われたぁっ!?」
「ふ、ふ……そうだな。地名だな。多分恐らく、米国西部の一地方か何かだな。否、響きからすると北欧か。いやなに、ともあれ土地の名前だろう。間違いない」
「うわ、これ信用しちゃだめなパターンだ!」


◆【20160205】
「ごめんなさい、先輩。ちょこっとばかり、お花を摘みに……」
「うむ」
「ん。それでは失礼しま――」
「……待て。何故に君は靴を履き、冬空の下へ出て行こうとしている」
「え。だって先輩、お花を摘むには、お花畑に行かないと――」
「――何とまさかの字義通り!」
「ふふふ。この時期ですと、パンジーやシクラメン、ことと次第によりますと、アネモネなんかも狙えちゃったり?」
「待て。よせ。私有地での花卉採取は窃盗だ。法に抵触せんとする行いはよせ」
「むう、仕方ない。でしたら頭の中のお花畑で――」
「犯罪には当たらぬが、それもそれでよしたがいい」
「ああ……綺麗なお花がこんなにも……」
「手遅れだったか……」
「……などなどと、与太を申しておりますけども、はい。……お手洗い、お借りします」
「やれやれだ」


◆【20160206】
「先輩。おはようございます」
「うむ。おはよう」
「おー、はよーうー」
「……?」
「おーっ、はよーうーっ」
「……、……クジラ?」
「ですですよっ。懐かしいですよねえ、あの番組」
「懐かしいというよりは、もはや旧世紀の遺物だな。文字の通りに」
「コーナーのオープニングに、ビートルズを使ってましたっけ」
「ああ、流れていたな。思えば俺は、あれでビートルズを初めて知――いや、待ってくれ」
「ん。どうかしましたか、先輩?」
「おかしい。致命的におかしい。何故君があれを知っている。やはり君は鯖を読――」
「ふー、ふふーふーん、ふふふっ」
「誤魔化すんじゃない。吹けていない口笛で誤魔化すんじゃない。『おはようクジラ』の口笛で誤魔化そうとするんじゃない」


◆【20160208】
「あまおうっ」
「ことか」
「とちおとめ!」
「とよのか、さちのか」
「べにほっぺ!」
「……うむ。いちごだな」
「いちごですね。……ところで、先輩」
「ああ」
「いちごというくだものは、先端の方が甘いらしいとは言いますけれど……」
「言うな。一口で食べるが故に、平素意識はしないことだが」
「あはは、ですねえ。こんでんすみるくなんかを掛けちゃいますと、なおのことです」
「そうだな」
「それにしても、先輩。……さきっぽの方が、あまい」
「う、うむ」
「その、何だか、……えっちですよね?」
「……。認めたくないことではあるが、否定可能な要素がないな……」


◆【20160211】
「ざっくり!」
「ざっくり?」
「……って表現、あるじゃないですか。『ざっくり説明する』、みたいな用法の」
「あるな。……『行為の調子、また進行方法が大雑把であるさま』、などと言えば良かろうか」
「おお、そんな感じそんな感じ」
「して、そのざっくりが如何にした?」
「こほん。……この使い方って、わりと最近広まったものらしいのです。具体的には、十年と少し前ぐらいから」
「そうなのか」
「はい。本来的かつ一般的な『ざっくり』の意味するところは、『ものを切るさま』、『ものが断ち裂かれているさま』、そして『編み目や手触りが粗いさま』。……って、三つ目に関しては、調べてみるまで知らなかったのですけれど」
「ざっくりとしたニットカーディガン、などと使うな。……しかし、ふむ。つまるところは」
「ご推察の通り、ですね。たぶんですけど、三番目の用法が拡大されて、『大雑把な』という意味の『ざっくり』が生まれたのだと思います」
「なるほど。……して、今の辞書には、一般に掲載されているものなのか。新たな用法は」
「はい。図書館にあった旧版と、電子辞書の最新版を並べてみたのですけれど、新しい方にだけ載っていました」
「なんと。流石だ」
「まあもちろん、辞書の種類によるとは思いますけどね。……というわけで、ざっくりとした、『ざっくり』の解説でした」
「あり難く、勉強にさせて頂いた」
「えへへ。どもども」
「……さて、ところで。話を変えて、すまないが」
「ん。先輩?」
「君が手に持っている剣呑な物体は、一体何だ」
「ありゃ、ご存知ないですか? これは布地を裁つのに便利な道具、裁ちばさみと呼ばれるものでありまして――」
「そうではない。俺が今問い質したいのは、何故君が今、裁ちばさみを握っているのかということでだな」
「ああ、いえいえ。先輩がお召しになっているTシャツを、これでざっくり切っちゃおうかなと――」
「待て。よせ。益なき破壊行為はよすがいい」
「むう。じゃあ仕方ないです。普通に脱がせちゃいますかー」
「何故そうなる!?」


◆【20160212】
「さあ先輩。今日は地獄めぐりツアーにご招待しちゃいましょう。なびげーたーはこの私、不肖ながらに努めさせて頂きます」
「うむ。頼む」
「まずは第一の地獄、『まとめブログのコメント欄』地獄」
「……」
「お、さっそく表情が曇ってこられましたね。ではでは次に、『ソーシャルゲーム広報アカウントのリプライ欄』地獄!」
「……」
「ふふふ、いい真顔です。さてお次は……お、地獄度が高いですね。『ファストフード店で女子高生が』地獄」
「……」
「一周回って、むしろ楽しくなってきましたね。このまま次の――」
「待て。十分だ。ここらで下車させて貰いたい」
「ありゃ、もうおやめになられます? まだまだ『フェイスなんとかの意識高い系』地獄、『フォロー外から失礼します』地獄などなど、人間の業を煮詰めたこの世の地獄の数々が――」
「……俺を、俺を帰してくれ。あの黄金のテキストサイト全盛期に帰してくれ……!」


◆【20160213】
「つかぬことを伺いますが……」
「うむ」
「先輩って。お豆腐、お好きですよね?」
「……そうだな。茹でても焼いても揚げてもよいし、そして何より生でも美味だ。こと酒肴のカテゴリにおき、豆腐以上の材はない」
「おお、どばっと語られましたねえ」
「ま、好むものであるからな」
「あはは。……うんうん、確かに。どういう調理をしたとして、ねぎさえあれば、立派なおかずの一つになっちゃいます」
「加えて言えば、安価というのも挙げられる。品質を問いさえしなければ、一丁三十円台さえもあり得る。驚異的だ」
「セット価格ではありますけれど、二十五円でも売られてますよ?」
「そうなのか?」
「四連なんとたった百円。その名もずばりカルテッ――」
「待て、それはよせ。暴動が起こりかねんぞ。豆腐への怒りが爆発しかねんぞ」


◆【20150214】
「今は昔の、学生時分の出来事だ」
「お。毎度おなじみお楽しみ、先輩の昔語りです」
「朝餉の味噌汁を作る為、俺は豆腐を賽の目状に切った。だが一丁では多過ぎるので、半分は容器に入れて、冷蔵庫に仕舞っておいた。帰宅の後に、冷や奴として頂こうとな」
「……あー、先輩。それはその、ひょっとしてもしなくても、水に浸けずに……?」
「うむ。付け加えれば、ラップさえも掛けずにな」
「あ、あはは。でしたらもちろん、お帰りになった頃には……」
「ああ。凍て付いていた。荒れ地の如く乾燥し切り、表面は霜に覆われていた」
「湿度ゼロですもんねえ、冷蔵庫。それで、先輩はそれをどうされました? ……いえ、まさかとは思いますけど」
「そのまさかだ。そのまま食した。これは高野豆腐だ、買った折から高野豆腐だったのだ――と、マントラの如く呟きながら」
「……おおう」
「不味かった。涙を禁じ得なかった」
「よしよし……」


◆【20150215】
「小動物か何かみたいに、先輩に甘えちゃいたいものですよ」
「今更にして、何を遠慮する必要がある。来るがいい」
「おお、流石は先輩。……ではでは早速、失礼しちゃいます」
「うむ」
「ん、しょっと」
「……。出し抜けに身体を丸め、床に俯せているようであるが。それは一体、何の小動物を模した姿勢であるのだろう」
「はい。やまあらしです」
「やまあらし」
「先輩といちゃいちゃしたい! でも棘が刺さっちゃうかもしれない!」
「そ、そうか」
「じれんまですよ、じれんま!」
「独国の思想だったか。……だが俺は構いなどせぬ。棘だらけの君を抱き締めよう」
「かっこいい!?」


◆【20150217】
「見て下さい。レシートですよ」
「レシートだな、あからさまに。……おにぎり二つ、購入時刻は八時前。登校途上に買った昼食とみた」
「あはは、正解です。ちょこっと寝坊しちゃいまして。……ところで、先輩」
「ああ」
「レシートの厚みって、ご存じですか?」
「いや。知らぬし……予想も付かんな。零コンマミリの世界だとは思うが」
「はい。私もさっき調べて知ったのですが、だいたい七十ミクロンメートルなのだとか。一ミクロンは千分の一ミリなので……」
「零・零七ミリメートルか。いやはや、これは」
「何だかもう、認識を越えた世界です。……でもですね。このレシートを、ぱたんと二つに折り畳んだなら――」
「ふむ。厚さは零・一四ミリメートル。やや身近にはなるな」
「そして、二回目、三回目。四回目まで行きますと、一ミリに達しちゃいます」
「これでボール紙並か。……どこまでゆくのか、見てみたいところだな」
「でしたら、ちょっと電卓出しますね。……えっと、十回目で七センチ。十五回目で二メートル三十センチ。二十回目で七十三メートル……」
「ここまでくれば、光の巨人も子供並だな」
「二五回目で二・三キロメートル。三十回目で七五キロメートル」
「待て。では三一回目には、もはや百キロメートルを越えるからして……」
「えと、……あっ。宇宙?」
「ああ。宇宙空間に達する」
「宇宙……」
「宇宙か……」
「……ねえ、先輩。このレシート、四回目まで折ってますけど」
「……。あと一七回か」
「じゅうななかい……」
「……いけるのでは?」
「……はい、私もそう思っていたところです。目指しちゃいましょう、二人で。宇宙!」
「ああ……宇宙へ……!」


◆【20160218】
「うーん……」
「スマートフォンの画面なぞを注視しながら、どうした。またぞろ何か、新たな地獄を発掘したとでもいうのか」
「あ、いえ。今回はそうではなくて。とあるウェブ辞書によりますと、『日和る』という言葉の説明が、こう……」
「拝聴しよう」
「最近は、『ひ弱になる』を縮めて使われているとかで、用例は『厳しい上司に呼び出されてひよってしまった』。こんなの、見たことも聞いたこともありませんけど……」
「……寡聞ながら、俺もないな。そしてそもそも、語源と用例が噛み合っていないように思う」
「ですよねえ。ひ弱じゃなくて、気弱かなにかの間違いなんじゃ……」
「そういうことだ。『ひ弱』は一般的な場面において、生来の体質などに用いるものだ。『なる』ものではないだろう」
「うーん……?」
「……ふむ、見えてきた。そうだな、前提として、『上司に呼び出されてひよった』などという例が、実際に用いられているものと仮定しよう」
「おお。推理タイムです」
「『ひ弱になる』を短縮したもの、などという定義は、意味合いから見て否定される。であればつまり、ここでの『ひよる』は、本来的な『日和る』が変化したものと考えられる」
「ん、ですね。……ちなみに『日和る』は、漢字の通り、『日和見主義』から派生した言い回し。意味は『自らの主義を持たずに、都合のいい側につく、もしくはそういう選択をとる』」
「的確な説明に感謝する。……ここで『日和る』と『ひよる』を比べてみれば、重なる部分があることに気付かれよう」
「むむ、ふむむ」
「この言葉が使われる際、想定され得る状況を考えてみて欲しい」
「……あー。『日和る』も『ひよる』も、ともに『不利だったり、厳しかったりする状況につきあたったとき』に使う言葉、ということですか?」
「そうだ。……さて、このことを以てして、『ひよる』という言語表現が産声を上げた、その背景が見通せる」
「不肖、後輩。推理させて頂きます。……『日和る』が使われているのを見た誰かさんは、ちゃんとした意味がわからずに、ただなんとなく『都合の悪い状況に直面したときに使う言葉なんだろう』と思ってしまったのです。そして間違いを知らないままに、自分が解釈した通りに口にした。……そういう誰かさんが、きっとたくさんいたのでしょう。それこそ、辞書に載っちゃったりするほどに」
「では、先に挙がったウェブ辞書において、『ひ弱になる』の派生表現だと記されることとなった原因は?」
「それは、たぶん……項目を執筆するにあたって、とりあえずの定義が必要だったからじゃないでしょうか。もともと新しい言葉の意味なんて、言葉の字面とはまるで関係ないものではありますが……まあ、辞書ですし、なにか説明を書かなきゃならなかったのでしょう。だから『ひ弱』を無理矢理関連付けて、こじつけた……」
「……うむ、見事。筋道立った説明だ」
「えへへ、どもども。なでてなでて」
「あ、ああ」
「むふふ、先輩。日和っちゃうのは許しませんよっ」


◆【20160218-2】
「ちなみにですが、新しい地獄も見付けましたよ。先輩、ご覧になります?」
「待て。俺はそれを望まない。インターネット世界の地獄巡りはもう懲りて――」
「まあまあ、そう仰らず。さあ、『トレンドタグの隆盛』地獄をご案内。最初は面白いネタであったものが、よくわかってない人たちに目を付けられて、どんどんつまらなくなってゆくさまを追体験しちゃいましょう!」
「……」
「あっ、眼が光を失って……」
「……」
「ご、ごめんなさい。こういうのばっかり探してるわけじゃないですから。ほ、ほら、猫動画! かわいい猫とか観ましょう、ね!」


◆【20160219】
「うううう……さむ……さむい」
「……ああ。寒いな」
「ねえ、先輩。私は夢を見ていたのでしょうか。春が近付いて来たなあと、そう喜んだあの日々は、所詮は儚い幻だったというのでしょうか」
「うむ。一時の気温上昇は何だったのかと、風に問いたくなりもしよう」
「ですよ。ですよ。ですですよ。期待した私がばかでした。許すまじです。もう絶対に許しません」
「……気持ちは分からなくもないが。また何やら、苛烈だな」
「屈辱です。いっそ憤死です。憤って死んじゃいます。私がボニファティウス八世ですっ」
「ボニファティウス八世」
「あるいはグレゴリウス七世っ」
「グレゴリウス七世」


◆【20160220】
「アニメや漫画で髪の毛がカラフルになりがちなのは、画面を地味にしないための配慮である……」
「うむ」
「――ってお話。ありますよね」
「そうだな。また或いは、キャラクタの区別を容易化する為であるとも」
「ん。……つまり、そういう……いわばこう、メタ的な事情のもとに、二次元の画面内においてだけ、そういう色味を持たされているということで――ううん、ええと」
「ふむ。……作中に想定されている世界においては、頭髪が多種多様な色彩であることは、別段特異なことでなどない、ということか。登場人物が持つ色とりどりの髪の毛は、我々の世界に置き換えてみたならば、どれも黒髪や茶髪となるだろう、と」
「うんうん、ですです。さっすが先輩、話がはやい」
「当然ながら、『髪を奇抜に染めている』と設定されている登場人物もおろうがな。まあ、絶対数は多くはなかろう」
「ちなみにですけど、先輩」
「ああ」
「たぶんこれって、体付きだとか頭身だとか、眼の色や大きさだとか、いろいろ全部の見た目にも、同じことが当て嵌められると思うのです」
「……そうだな。仮に漫画の描写において、キャラクタが二頭身で表現されているのだとしても、それは創作物中の人物達が、巨大な頭部を持った怪生物であることを意味していない」
「そういうことです。瞳がカラフルなのもメタ的事情、鼻がないのもメタ的事情、あと学校制服が妙に凝ったデザインなのもメタ的事情」
「うむ。……当たり前のことといえばそうだが、改めて考えてみると面白い」
「――っと、いうわけで!」
「と、というわけで?」
「先輩は、もしアニメ化されるとしたら、どんな髪の毛の色がいいですか?」
「アニメ化とは」
「さ、遠慮なさらず。赤でも青でも緑でも、銀色だって構いませんよっ」
「……。参考までに、君自身について尋ねてみたい」
「わ、私? えー……私は、ええと、ですねえ……」
「……」
「く、黒、かな……?」
「ふ」
「笑ったぁっ!?」


◆【20160221】
「私たちは、小説や漫画や何かをみると、ほとんど自動的に『その内部には一つの世界が存在している』と、そう無根拠に思い込んでしまいます。ちゃんとした物理法則があり、登場人物たちにはそれぞれの人生があり、普通に時間が流れている、そんな世界があるのだと」
「……」
「わかりやすいのが、四コマ仕立てのギャグ漫画。登場する人物たちは、同じサイズの四つの画面のその中で、面白いことをやっています。そしてそれを読んだとき、読者は『キャラクタ』だとか、『世界観』だとか、そういうものがあるのだと、疑いもなく納得してしまいます。――でも、本当にそうでしょうか?」
「……ふむ」
「私たちが『登場人物』だと思い込んでいるものは、ただネタを言うためだけの、言わば張りぼてみたいなものなんじゃないかな、と。漫画はあくまでネタを見せるためだけのもので、別に設定とかがあるわけではなくて、仮に設定があったとしてもそれは同じで……ええと、あー、ご理解頂けてます、先輩?」
「……うむ。言葉にすると複雑怪奇極まるが、君が言わんとすることは理解可能だ。ま、哲学的思考に落ち込み過ぎとは思うがな」
「あはは、ちょこっとやりすぎましたかね。……じゃあ、話を単純にしてみましょうか」
「拝聴しよう」
「とある漫画があるとします。その作品は、いわゆる女子高生の日常ものです。そして登場人物たちは、上半身、つまりバストアップの姿しか描かれてはいないのです」
「ああ」
「読者としては、ここに出ている人物たちは、みんなこの世界と同じような女子高生なんだろうなと、信じ込んでしまいます。描かれていない部分にはちゃんとお腹があって脚があって、スカートを穿いていると、そう想像してしまうわけです」
「……なるほど。だが実際、本当に彼女等に下半身が存在しているかどうかなど、結局のところは知りようがない。コマ枠線の下、描写されていない部分には、もしかしたら何もありはしないのかも知れない。また或いは、カニクレーンに似た機械が接合されているのかも知れない」
「ええ、そういうことです。そういうことであっちゃうのです」
「うむ」
「あの。……ところで、先輩」
「どうした」
「先輩、触手、生えてますよね」
「――!?」
「いつもはうねうね素敵な触手、今日はちょこっと元気がない?」
「待て。よせ。地の文が存在しないのをいいことに、好き勝手を言うんじゃない」


◆【20160222】
「二次元のキャラと言いますと、『俺の嫁』だなんて言い回しがありますけれど」
「うむ」
「これはまあ、『とても好きなキャラクタ』ぐらいのことで、現実世界の婚姻関係というのとは、一切関係ないわけですよ」
「……ああ。つまり、あれか。『創作物の登場人物に向ける感情』は、『恋愛感情』とは質を異にするものである、という話か?」
「いえす、いえす」
「またこれは、難儀な議題だとは思うが。……まあ、聞こう」
「では、失礼しまして。……そもそもの前提として、漫画やアニメのお話は、現実でなんかないのです。いえ、別に悪く言っているのではなくて、まず『創作物は現実世界を模倣したものである』という認識自体が、たぶんきっと誤っていて」
「うむ」
「創作物は、あくまで創作物なのですよ。二次元三次元なんて言葉を使えば、『二次元は三次元の下にある』、なんて認めてしまいがちですが……」
「……そうではなくて、あくまで二次元――創作物は創作物として、我々の世界とは何ら一切関わりがない、独立した理に立っているのだと」
「ですです。……あー、なんだかすごく、当たり前のことを言っちゃっているような気もしますけど……」
「その『当たり前』こそが、或いは重要なのだと思うがな」
「あはは、だといいですが」
「続けてくれ」
「ん。……そこで私は、思うわけです。三次元……つまり現実で誰かに好意を持つことと、二次元のキャラに好意を持つことは、どこを取っても重なりあう部分のない、まるで違った方向のことがらなんじゃないかと」
「……ああ」
「だから、つまり。『二次元にしか興味がないから恋人は欲しくない』なんて台詞は、成立し得ないはずなのです。そんな風に言う人はただ、『アニメや漫画のキャラが好き』でかつ、『恋愛には興味がない』だけなのです。それとこれとは別の話で、その二つには何の因果関係もないのです。……と、思うのですよ」
「……ふうむ」
「それから、『二次元と三次元の区別がつかなくなる』なんて言葉もありますが。――いや、そんなわけないじゃないですか。ないですないです、ありえないです。もしそう見える行動をした人がいたとして、その人はただ、『漫画や何かの描写に影響を受け、参考にした』というだけのことです。区別がついていないわけじゃないですよ。それとこれとは別問題です」
「……」
「二次元と三次元とは、どこまでいっても断絶してて、接点なんかはありはしません。だからそれぞれに向ける気持ちも、それぞれで別のものです。どちらがいい、悪いというのではなくて、おのおの無関係なものなのです。だからきっと、それらを一括りにして語るのは、――つまり、『恋人がいるのになぜアニメを観るのか』だとか、『作中の女の子と付き合いたいから代償行為として二次創作をしている』だとか、そんな指摘は的外れもいいところで、いっそ侮辱でさえあるんじゃないかと――」
「……まあ、待て。少し茶を飲め。唇を湿らせるといい」
「は、はい。……ごめんなさい、先輩。ちょっと熱くなっちゃいました」
「なに、謝ることはない。……して、今の君の話だが」
「ん……」
「妥当な意見だと思う。俺も同じように考えている。世間的な共感の可能性も十分なように思われる。――だが、危険な物言いではあるだろう」
「危険、ですか?」
「ああ。……人はそれぞれ、主義主張を持っている。譲れないものを背負い抱えて生きている。こと『好き』ということに関しては」
「……」
「何がどう好き、何処がどう好き、好意の質と方向性。ここにはもはや理屈はない。幾ら君の主張が妥当だとして、人がそれを理解し納得したとして、『好き』を侵犯することは出来ない」
「……あー。つまり、ええと、言葉にするのは難しいのですが……」
「うむ」
「キャラクタに対する想いが、確かに違わず『恋』であるのだと……現実世界の恋と同じなのだと、そんな風に言う人を、否定してかかることは許されない、ってことですか。どれだけ私が、正しい論拠を持っているのだとしても」
「……すまん、俺にも明確な説明提示は不可能だ。だが、言わんとすることは伝わっているとは思う」
「ん。……はい、何となくですが、わかりました」
「ついでに一つ、付け加えるとするならば、……何と言うべきか、本気で『二次元と三次元の区別が付かない』者もまた、存在しないとまでは言い切れん」
「あ、あはは……」


◆【20160223】
『あう……あうう……せんぱぁい……』
「……通話開始も早々に、どうしたというんだ。一体全体、君の身に何が起こった」
『うう、先輩。今日はちょこっと、早起きしちゃいまして。具体的には、四時半ぐらいに目が醒めちゃいましてね……』
「うむ」
『授業をなんとかやりすごし、家に帰って、眠くて眠くて、でも読みたい本があったから、ごりごり読み進めておりまして。うにゃむにゃしつつ、どうにかこうにか……』
「ああ」
『……そこで私は、はたと気付いてしまったのです。冷蔵庫に、なにかの景品で貰ったところの、例の赤い牡牛っぽいエナジードリンクがあるじゃないですかと』
「……。ああ」
『でまあその、本も読みたかったですし、その、きくのかなあとか思っちゃったりしましてね、その、飲んでしまったわけなのですが……』
「ああ……」
『心臓が。しんぞうが。ばくばくして。ぐらぐらして。どきどきして。ぐつぐつして。……せんぱい』
「……よく聞け、率直に言う。それは急性カフェイン中毒の症状だ。動けるならば水を飲み、その後横たわっているといい」
『あ、あ、はい……』
「心してくれ。デイヴ・グロールの件は君も知っているだろう。カフェインは依存性のある薬物に他ならず、多量摂取は命の危険にすら直結している。……君がいうエナジードリンクなるものは、常識的なシーンにおいて、概ねの場合危険はない。だがその日の体調やカフェイン摂取状況によっては、無視出来ない厄災ともなる可能性も否定出来ない」
『うぅ……はい……はいぃ……』
「……すまん、熱くなった。とにかく今は、寝ることだ。きっちりと水を飲み、そのままぐっすり寝ることだ」
『……わかりました。……せんぱい』
「ああ」
『あいしてます……』
「……、……通話が切れた……」
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