彼:
男性。二十三歳。社会人。
理屈で物事を判断するが、わりとなんでも受け入れてしまいがち。
愛が重い。

後輩:
女性。十五歳。高校生。
捨て鉢なところがあり、極端な行動に走りがち。
愛が重い。


◆【20151031】
「ところで先輩。今日という日が、何月何日なのかは御存知ですか?」
「当然ながら、神無月の晦の日。即ち十月三十一日だ」
「ですです。……つまるところは、はろいんであるわけですよ」
「ハロウィン、か。特に関与するでもないが、わけなく心踊らされるものはあるな」
「でしたら先輩、チョコ食べます? 折角ですし、気分だけでも」
「ふむ。返すもてなしもなく申し訳ないのだが、頂こう」
「むっふっふ。――注意を疎かにしていましたね、先輩」
「何と」
「とりっく・おあ・とりーと。……つまるところに、私のお菓子を受け取ってしまった先輩は、私にいたずらをしなくてはならない……!」
「……待て。前提条件の再確認を」
「ここに至って、もはや悪足掻きは無用です。先輩は……そう、はろいん叙述とりっくに引っかかり、絡め取られてしまったのですから」
「何かがおかしい……何かがおかしい……!」


◆【20151101】
「いたずら、してもらっちゃった……」
「……一日余りが経過したと言うに、未だ蒸し返そうというのか、君は」
「だって、ふふ。むふふ。むふふふふ」
「……」
「何せもう、先輩の選んだ方法が……」
「……」
「履いている靴下を脱がせる、だとか。……やっぱり私の先輩は、なんだかちょこっと物好きでした」
「……反省している」
「どきどきしました」
「よせ」


◆【20151103】
「私の星が……」
「……星?」
「あの無機質でいてそれでもどこかあたたかみのある星が、馴れ馴れしくて不愉快で薄気味悪いはーとまーくに……」
「……ハートマーク?」
「……アカウント、消しちゃいました……」
「……。何のことやら分からぬが、ともあれ災難なことだった」
「うぅ、先輩……私に星を……星を飛ばして下さい……」
「すまん。さっぱりだ」


◆【20151106】
「猫ですよ!」
「猫なのか」
「ええ、猫です。……まあ犬の方が好きですけれど、それはそれ、これはこれ」
「犬猫に関する好みは、決して二分化できるものではないな。……猫は可愛い、犬も可愛い。それでよかろう」
「であるからして先輩も、いますぐ猫になるべきです。いえむしろ先輩は、実はもとより猫だったのです」
「何たる無茶か。俺は猫ではありはしないし、猫になる心算もないぞ」
「お茶がないとかどうとかは、これからすぐにわかることです。……さあ先輩。このコインを見て下さい」
「よすがいい。催眠術など、この俺には効きはせぬ――」
「先輩はー……猫になーる……猫になーる……」
「……猫じゃないにゃ」
「あっ、軽巡洋艦になった!」


◆【20151112】
「はてさて先輩。そろそろお出汁も、煮え始めてきていることですよ」
「なるほど確かに、賽の目豆腐が揺れている。仄懐かしい鰹節の薫香も、奥床しく立ち上っていることだ」
「ですからここらで、さくっととろみをつけちゃいましょう。……片栗粉を、小匙半分。沸騰の前に投入するのがポイントです」
「なるほど」
「折角ですし、生姜もちょこっと加えちゃいます。チューブのやつではありますけどね」
「晩秋の闇に冷えた体に、何とも憎い配慮だな」
「えへへ、どもども。……さあ先輩、本格的に煮え立って参りました」
「うむ」
「溶き卵を流し込むのは、必ず沸騰中に行いましょう。それもやさしく、少しづつ……」
「……」
「それと同時に、菜箸で出汁を掻き混ぜます。ゆっくり、慌てず、やわらかく」
「……」
「ん、先輩?」
「いや、なに。……見惚れていた」
「み、見惚れ……?」
「菜箸の先が行き交う度に、棚引くように立ち現れる黄金の雲。そのありさまは、幻想的ですらあるだろう」
「あはは、何となく分かります。すーっと、ふわりと、どこからともなく滲み出してくるかんじ」
「うむ……」
「よし、と。火を止めて、小葱を散らして、完成です。……かきたま湯豆腐!」
「御見事だ」


◆【20151113】
「先輩って、その……」
「うむ」
「二の腕、すごいですよね」
「……。これはまたぞろ、藪から棒を突き出すことだ」
「いやでも先輩、ほんとに素敵な筋肉ですよ。……きしりと引き締まっていながらも、存在感のある厚み。これぞまさしく、上、腕、三、頭、筋」
「スタッカートまで付すとはな。……しかし何故、今唐突に?」
「だって先輩、お風呂上りでシャツ一枚じゃないですか。それがこう、二の腕にこう、ぴったりと張り付いて、みっしりと浮き出ちゃってるじゃないですか」
「あ、ああ」
「辛抱たまりませんよ!?」
「落ち着け」


◆【20151122】
「はたと気付けば、八日間。一週間と一日ですよ」
「ふむ」
「時間に直せば、百九十二時間に相当します」
「うむ。違いない」
「分だと一万千五百二十で、秒だとなんと、六十九万千二百にも達しちゃいます。ここまで来ると、あなどりがたい数字です」
「たかが八日間、されど六十九万千二百秒間――か」
「全くですよ」
「……ところで。今更の問いではあるのだろうが」
「ん。先輩?」
「これは一体、何の期間だ?」
「よくぞ聞いて頂きましたっ。……と言いますか、流されちゃったらどうしようかと、ちょこっと不安になってましたよ」
「すまん、気が回らなかったな。……して?」
「ずばり、――『私が先輩に抱き付かなかった期間』です!」
「何と……」
「……あはは、なんて。ただぎゅっとしたくなっただけなのに、長々無駄に前振っちゃいまして。ごめんなさい」
「構わんさ。……ほら」
「ん。……えへへ」


◆【20151123】
「ううむ、豆が富む……」
「とうふ、だな。『腐』の字が縁起悪いからと、敢えて『豆富』と書くことがある」
「わかりづらいんですよ!」
「……気持ちは分かるが、落ち着――」
「豆が腐るでいいじゃないですか。字面がちょこっと悪いからって、妙な当て字はよすべきです。お豆腐の『腐』という文字は、腐敗するっていう意味じゃないんですよ!?」
「落ち着けと言うに」


◆【20151124】
「おお、先輩。珍しくパソコン点けて、何見て……あ、いえいえ」
「どうした」
「まあえっと、何と言いますか。先輩のたまの『お楽しみ』に、水を差すのも申し訳ないなと言いますか――」
「待て。よせ。然なる配慮は必要ない。それとついでに、微妙に頬を染めるんじゃない」
「あはは、冗談ですよ。それで先輩、一体何を御覧になって――って、あれ?」
「うむ」
「もしかしてもしなくても、これは大手の旅行予約サイトじゃないですか。より具体的に言いますと、インドネシア語で、『道』を意味する単語が名前の由来になっている――」
「そうだな。じゃらんだ」
「ぼ、ぼかしたのに……って、そんなことはいいのです。先輩、ご旅行の予定でも?」
「そういうことに、なるのだろうか」
「ふむむ、何やら煮え切らない。いつも忙しいご様子ですし、私も迷惑かけちゃってますし、たまには静かにお一人で――」
「待て、そうではない。……何だ。その、今週末、君の時間を貸しては貰えないかと」
「……わお」
「わおとな」
「ふふ、むふふ。……むふふふふ」
「……」


◆【20151128】
「んーっ……」
「三時間弱の旅路だったが、よく眠れたか」
「ええ。おかげさまで、ばっちりしっかりぐっすりでした」
「そうか。何よりだ」
「ぼんやりとした体と心に、このつめたさのここちよさ。何だかこう、ぐっときちゃいます」
「ああ。列車の扉の内と外、その思いがけない温度差は、常に人をはっとさせるものがある」
「夏も冬も変わらない、鉄道旅路の醍醐味ですね」
「肯わざるを得んな。……さて、改めてのことではあるのだが」
「先輩?」
「長らくの間、旅行を企画出来ず仕舞いで悪かった。また今回は、急に連れ出したりして悪かった」
「あはは。そんなの言いっこなしですよ、先輩」
「すまん。助かる」
「不肖、後輩。先輩の行くところなら、いつでもどこでもお供しますので。こう、ちぎれんばかりに尻尾を振って」
「それは何とも、申し訳なくも心強い」
「ですから、先輩。たとえ寂しい夕暮れ時で、場所が河原であったとしても、『ごめんごめん』と仰ることはないのです」
「……。君は一体、何十単位で鯖の数を偽っている……?」
「それを言うなら、先輩も」
「……」
「……」
「……まあ、行くか」
「はい。行きましょうっ」


◆【20151128-2】
「――いやあ、堪能しましたねえ」
「ああ。一日であるとは言えど、思えば種々様々な経験をしたものだ」
「バスに乗って、うどんを啜って、少し歩いて……」
「その後うどん腹に入れ、当てどなく足を遊ばせ」
「おやつ代わりにうどんを食べて、そしてそれから、最後にうどんを頂きました」
「……」
「……」
「おかしい。うどんを食べた他の記憶がない」
「だ、大丈夫です。鶏天も美味しかったですから。うどんばかりじゃありません」
「あ、ああ。そうだったな。茄子や玉子の天麩羅にも、舌鼓を打っていた」
「……まあ、ぜんぶうどんのトッピングですけどね!」
「……うむ」
「うぅ、ごめんなさい。旅行の行き先を聞いたときから、うどん以外のことがらが、何も考えられなくなっちゃいまして」
「文句などないさ。俺とて存分、楽しませて貰ったことだ」
「……ん。ありがとうございます」
「いや、なに。……しかし」
「先輩?」
「宿入りするには、やや尚早である気もするが。すまん、歩き疲れていたか」
「あー、そういうことではなくて。えっと、先輩がまだ観光なさりたいのでしたら……」
「俺の側に異存はない。君の判断に従おう」
「でしたら、お言葉に甘えちゃいます。……今晩の宿は、いわゆるところのビジネスホテル、でしたよね?」
「ああ。なまなかならぬ事情によって、別々の部屋となってしまったが……」
「いえいえ。むしろそれはそれで、こう……つまりですよ、先輩?」
「う、うむ」
「先輩の過ごすお部屋は、すなわち先輩だけのぷらいべーとな空間になるわけですよ。同じ屋根の下にいながらも、それぞれ寝起きする場所は、隔絶された別世界にも等しいというわけですよ」
「……」
「であるからこそ、お部屋に遊びに行く時にどきどきしちゃったりとか、いつ自室に戻るか悩んじゃったりとか、いっそそのまま帰りたくなくなっちゃったりとか、そういうなにか、言わば背徳的な情緒がですね?」
「……な、なるほど」
「引かれた!?」


◆【20151128-3】
「……と、言うわけで。荷物を置いて、早速お風呂を頂きましたっ」
「浴衣――館内着とでも言うべきか。よく似合っている」
「えへへ、どもども。お似合いですよ、先輩も」
「だと良いが」
「具体的には、幽玄かつも逞しく浮き上がった太腿の線――」
「よせ。そういう生々しい評はよせ」
「むう、仕方ない。……それにしても、このホテル。言っちゃって良いのかあれですが――」
「ああ。――想像以上に上質、か」
「ええ、ですね。ロビーも広くて瀟洒でしたし、地下にバー……らうんじ? 的なものもあるみたいですし」
「正直に言えば、俺も聊か驚いている。景色も決して悪くなし、この価格帯のビジネスホテルとは思えん」
「シングルサイズのベッドなのに、何故だか枕が四つありますしね。……はっ。投げろと!?」
「投げるな。四連装は軍縮条約違反だ」
「はあい。……ふふふ」
「どうした」
「楽しいですね、こういうの」
「……なるほど。君がチェックインを早めにした訳は」
「ええ。ホテルのお部屋で、先輩と遊びたかったからなのです」
「そういうことなら、心して付き合おう。かくなるならば、菓子の類も買っておくべきだったな」
「ふっふっふ、もちろんぬかりはありません。取って来ますねっ」
「何と。流石だ」


◆【20151128-4】
「普段は碌に観ないどころか、むしろ遠ざけてさえいるテレビ放送。……なのに何故だか、こういう時には面白く感じちゃったり」
「あるな。地方ローカルの報道番組、また紀行番組の類など、特にそう感得される」
「あと、子供向けのアニメとか」
「うむ。或いはこれも、旅情の一種と呼べようか」
「あはは、ですね。……あ、先輩。飲み物、大丈夫ですか?」
「……そうだな。少し買い足して来よう」
「折角ですし、お供しますよ。えっと、自販機は……」
「一階下、だな」
「りょーかいですっ」


◆【20151128-5】
「のんあるこーる、なのですね」
「一応な」
「むむ。気兼ねなさっているのなら……」
「……察してくれ」
「……あー。はい、なるほどでした」
「すまん。折に触れては、己の不甲斐なさを認識せざるを得んな」
「い、いえいえ。場所が場所ですし、状況も状況ですし、それにその、先輩も私も、こんな格好ですし。……ええ、私の方こそ気を付けないと、本当になにかこう、軽率な間違いが――」
「……」
「……こほん。ところで、そちらは?」
「ボトル入りのミックスナッツだな。物珍しさに気を許し、つい財布の紐が緩んでしまった」
「おお。こういうのが自販機に並んでいると、ホテルーって感じがしますよね」
「ホテルーっ、という感じがな」
「あはは。ホテルーって感じが」


◆【20151128-6】
「ん……」
「眠気が来たか。良い頃合いだと思うが、部屋に戻るか」
「いえ、大丈夫です。もうちょっとだけ……」
「そうか」
「……というのが、きっとだめなのですよね。このままずるずる先輩のお部屋にいると、たぶん帰れなくなっちゃいますから」
「……ああ」
「だから、今夜はここまでにしておきます。先輩、今日は一日、ありがとうございましたっ」
「こちらこそ」
「おやすみなさい、先輩。……また明日」
「ああ、お休み。また明日」


◆【20151129】
「おはよーございますっ」
「おはよう。よく眠れたか」
「あー、あはは。まあ、そこは……」
「……すまん。失言だった」
「考えてもみれば、何だか不思議な話です。先輩のお家には毎日のようにお邪魔してますし、一緒の布団で眠ることだってあるのに……」
「……」
「同じ建物の中、同じ階の別のお部屋で、先輩が眠っておられるという状況が、その、ええ」
「ああ……」
「先輩も、あの後、お酒と煙草を……?」
「気を静めんが為、致し方なく……な」
「……」
「……」
「あ、でもでもっ。朝から気兼ねなくお風呂を頂けるのは、宿泊旅行の特権ですよね」
「うむ。やや寝足りぬとは言えど、眼を醒ますばかりは出来た」
「そういうわけで、早速朝ごはんに参りましょう。びゅっふぇが私を呼んでいる……!」
「そうだな。行くか」


◆【20151129-2】
「ちぇっくあうと!」
「ああ。チェックアウトだ」
「ホテルに宿泊するというのも、ずいぶん久々でしたけど。……ううむ、何でしょうね。この一抹のせんちめんとは」
「……そうだな。俺が思うに、客室という名の存在は、言わば一つの世界なのだと思う」
「ふむむ」
「窓があり、ベッドがあり、デスクがあり、テレビがある。それだけであるとは言えど、生活するに不足はない。――己の為だけに設えられた、狭いながらも満ち足りている、完成された箱庭だ」
「……」
「一間、ほんの一間。客を宿すその夜にだけ、されど確かに存在している小世界。だが闇が明け、朝の光に照らされた時、それは儚く溶け消える。……最初から、何もなかったかのように」
「……」
「これがセンチメントでなくて、一体何であると言うのか。君の握った感触は、如何にも正鵠を射ているさ」
「おおー。りりかる、ぽえみー、ぱーふぇくと……」
「ま、これこそセンチメンタル過剰であろうがな」
「いえいえ。折角のたまの旅ですし、過剰なぐらいがちょうどいいのだと思うのです。もはや躊躇も遠慮もなしに、どんどん感傷しちゃっていきましょう」
「……では。ホテル滞在が終わったように、これから旅も終焉へと近付いてゆく。君と俺とで二人歩いた道行は、吹き渡る風が果て去るように、とこしえの虚無へと還る。――だが、案ずることはない」
「ん……」
「記憶は残る。二人過ごした記憶は残る。或いはそれが色褪せたとて、『楽しかった』と、そういう想いだけは残り続ける。それで良いのだと思う」
「……はいっ!」
「残り時間は多くはないが、此度の一泊旅行を締めるとしよう。……さあ、最後の予定を発表して貰おうか」
「お任せあれっ。――うどんを、食べに行きます!」


◆【20151206】
「ついふらりとコンビニに、肉まんを買いに行ったのですよ」
「趣深い、日本の冬の風物詩だな。……して?」
「すると私の前に並んでいた方が、何やら焦燥感を滲ませて、けれど決意を宿した表情で――」
「うむ」
「――でぃーえむえむのポイントカードを、五千円ぶん買われてまして」
「……それは」
「盗み見みたいで、お行儀悪いことですけれど。……私としては、その背中に無言のえーるを送ることしかできませんでした」
「いやはや、何とも。これもまた、四季折々の景物が一と言えるだろうか」
「あはは。かもですね」


◆【20151207】
「スーパーマーケットに立ち寄ると、まず買い物かごを持ちますね」
「ああ」
「店内を歩き回って、欲しい商品を手に取って、かごの中へと収めます」
「うむ」
「買いたいものを取り終わったら、レジに並んでお支払い。お金を払って、お釣りを貰って、それと買い物袋を受け取って」
「そうだな」
「荷詰めスペースで袋詰めして、最後にかごをラックに戻し、ここでようやく、買い物終了となるわけですよ」
「うむ。紛うことなく違うことなき、一連の購買手順の説明だ」
「ですが私は、思うのです。……この流れって、けっこう複雑なものじゃないですか?」
「……なるほど。手続きを知らぬ者が来店すれば、混乱するは必定と。説明書きに類するものも、特に用意されてはいないしな」
「ええ、そういうことです。買い物のやり方なんて、言わば常識ですけれど――」
「――その『常識』なる概念は、知っているかいないかの差異でしかない、と」
「ですです。さすが先輩」
「ちなみに言うと、こうした店舗形態に特有の、客が荷詰めを行う台。ああしたものは、『サッカー台』と称される」
「おお。豆知識」


◆【20151208】
「先輩」
「ああ」
「んー……、ふふ、先輩」
「幸せそうだ」
「えへへ。ぬくぬくして、ぽわぽわして、先輩と同じお布団の中にいて。……ええ、今の私は幸せです」
「うむ」
「あたたかくって、幸福で。……うたかたみたいな独り言さえ、呟いてしまいそうなほどに」
「であれば俺は、君の言葉を聞くとしよう。君が眠りに落ちるまで。俺が眠りに落ちるまで」
「……ん。じゃあ……」
「……」
「……私は。きっと私は、そう遠くない時間のあとに、眠気に捉えられてしまうのです。そして穏やかなしじまのあとに、明日の光で目を覚ますのです。そのとき私の隣には、きっと先輩がおられるのです」
「ああ」
「いつもと変わらない景色。いつも通りのあたたかさ。――でもそれは、そこにいるのは、はたして今日と同じ私なのでしょうか。今日と同じ先輩なのでしょうか。……いえ。たぶん、それだけではないのでしょうね」
「……」
「時間と空間。夜明けの空気。空の色、風のにおい、光の角度。何もかも。そこに存在している何もかも。私達を包み込んでいる何もかも。――夜が明けた時、あまねく世界の全てさえ、まるで別物になり変わってしまっているのでは、と」
「……それは」
「ねえ、先輩。――いつから世界は、繰り返していたのでしょう?」
「……。気付いていたか」
「あはは、気付いていると言いますか、ふと思い当たったと言いますか。……だって、どうしたっておかしいのです。去年も私は十五歳、今も私は十五歳。だというのにも関わらず、普段はそれを、疑いさえもしないのですよ?」
「そうだな。……己の誕生日という概念を、意識していた記憶がない。思い出そうとしても思い出せない。『己に誕生日が存在しない』という狂った事象を、何らの疑念もなしに受け入れている」
「ええ。……でも」
「ああ。……だが」
「ふいの拍子に、はたと気付いてしまうのです。世界が繰り返されていることに。一日おきに、私にとっての世界の全てが、新しいものとして作り直されていることに」
「その瞬間こそが今、というわけだ」
「ええ。ですね」
「そしてまた、かくなる対話を交わしたことを、明日の俺は覚えてなどはいないだろう。……恐らくは、君にしたってそうだろう」
「だと思います。新しくなった世界で目覚めた私は、まるで当たり前であるかのように、歪み狂った新世界を歩き始めるのだと思うのです。……これまでずっと、ずっとそうしてきたように」
「……」
「……」
「……一つ、聞かせて貰いたい」
「はい。先輩」
「君は、これで良いと思っているか。毎日毎日、世界は再生され続けることを止めない。君も俺も、とこしえに齢を重ねることはない。言うなれば、時の牢獄とさえ呼び得る道行だ。――君は、これで良いと思っているか」
「……あはは。たぶん私は、とうの昔にもう既に、おかしくなっているのでしょうね」
「……」
「先輩と私の生活が、とわに絶えなく繰り返される。いつになっても十五歳で、いつになっても二十三歳。『先輩』と『後輩』という関係は、決して終わることなく続き続ける。……そういうのって、とっても素敵なことじゃないのかって、思っちゃったりしちゃうのですよ」
「はは。……安心しろ。俺も、寸分違わず同じ意見だ」
「……ふふ。先輩」
「ああ」
「ん、む……ふぁ」
「眠くなったか。……であるのならば、寝物語もこれで終いだ」
「はい。……ええ、そうしましょう」
「お休み。俺の後輩」
「おやすみなさい。私の先輩」
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