彼:
夏が来ると、色々とやばいらしい。
何がどうやばいのか、上手く言明不可能であるのにも関わらず、兎に角やばい辺りが、特にやばいのであるらしい。

後輩:
夏が来ると、色々とやばいらしい。
何がどうやばいのか、必死に言語化しようとしてみる試行において、猶更やばくなってしまう辺りが、特にやばいのであるらしい。


◆【20150624】
「新聞に、載ってみちゃったりしたいのです」
「……驚いたな」
「ありゃ、そうですか? 一度くらいはと、昔から思っていたのですけど」
「いや、なに。……して君は、何面記事を飾るのだろう」
「ええと。記事と呼んでいいものか、ちょっと分からない場所なのですが……」
「ふむ。つまり?」
「つまり、あれです。――四コマ漫画」
「……。なんとまさかの、登場人物」
「折角ですし、ここは先輩が飼い主で、私がビーグル犬として……」
「そう軽率に、人を丸頭にしようとするんじゃない」


◆【20150625】
「手動のミルで、手ずから豆をごりごり挽いて淹れたコーヒーは、やっぱり格別の味わいがあるものです」
「作業の手間も、また悪くないものだ」
「ですね。……ただ、結構時間は掛かっちゃいますから」
「うむ」
「手でハンドルを回し続ける運動を、ほかに有効活用できればなあ……とは、少し考えてしまったり」
「なるほど。つまるところは、自家発電か?」
「いえ。どちらかと言いますと、こう、まにろーらー的な」
「……ここで敢えての、マニ車」
「つまり私の場合でしたら、先輩だいすき儀式で唱える呪文を、ハンドルの裏に記しておけば――」
「……」
「……あの。えっと、普通に冗談ですからね?」


◆【20150626】
「にゃ。先輩、おかえりなさいなのですにゃあ」
「……。帰宅したと思ったら、居室に猫が一匹入り込んでいた時の心情を、何と言語化したものだろう」
「あはは、何をいまさら、……ええと、にゃ。今日もお仕事、お疲れ様ですにゃあ」
「早速にして、ぼろが出掛かっているようではあるが」
「にゃにを仰る。私はねこですにゃ。完全無欠で完璧無比に、ねこ以外の何ものでもありはしないのですよ! ……にゃ」
「語尾に『にゃ』と付しさえすれば、それで猫足り得るのかどうか。ここには、慎重な議論が要求されると言えるだろう」
「……ふむむ、にゃあ」
「そういうわけで、早速ディスカッションを開始するのだにゃあ」
「――にゃにゃっ!?」


◆【20150627】
「う、うわ。うわわわわっ」
「どうした」
「つ、攣った。攣っちゃいました、脚、脚っ」
「落ち着け。背を見せ、逃げるのは最悪手だ。大音声を出して抵抗し、可能な限り、己を大きく見せることを心掛け――」
「それは熊ですっ。熊に襲われた時の対処方法ですよ!?」
「ふむ。冷静だな」
「れ、冷静なんかじゃないですよっ。これ、これ、どうにかしてくださいよ、先輩!」
「そうだな。……筋肉を弛緩させさえすれば、攣縮はすぐに収まる。君は正座状態であるから、つまり」
「この際、もうなんでもかまいませんから!」
「了承した。……」
「ひゃわぅわぁっ!? やぁ、だめ、そこだめっ――」


◆【20150628】
「手足が攣ると言いますと、ひとつ、忘れられないことがあるのです」
「想い出語りか。拝聴しよう」
「それでは、失礼して。……あれは、そう。真夏の空が、狂ったような熱と光ですべてを突き刺す、暑い暑い日のことでした」
「うむ」
「理由は忘れちゃいましたけど、私はすごく疲れてまして。……いえもう、疲れたどころの騒ぎじゃなくて、疲労困憊、へとへとのぐだぐだで。目の前がくらくらとして、自転車を漕ぐ脚にさえ、ほとんど感覚がないほどでして」
「自転車か。……それでは、よもや」
「きっと、先輩の想像通り。……ええ、漕ぎ続けている真っ最中、横断歩道の真ん中で。両方のももとふくらはぎ、それと手指もおまけして。――ぜんぶ、一気に攣っちゃったのです」
「……凄まじいな。それは」
「凄まじかったですねえ、あれは。ぱにっくもぱにっくで、どうやって帰り着いたかも、全く覚えてなかったり」
「両手両足ともなれば、ペダルを踏み続けることはおろか、ブレーキさえも掛けられないか。……大事に至らなかったことは、幸いとしか言えないな」
「全くですよ。……ああいうのって、ほんとに突然来ちゃいますから。なにか、対処法みたいなものがあればいいのですけど」
「対処法、か。……伝え聞くところによれば、鈴を振りつつ山路を歩くのは、科学的な根拠に乏しい――」、
「――だから、熊はもういいですってば!?」


◆【20150629】
「空を、見上げていたのです」
「……空を」
「午後六時半。この季節、天の色はまだまだ若く。……でも、どこか翳りをたたえた青色を、大真面目に見上げてまして」
「ああ……」
「電線の遥か向こうに、斜めの光ですべてを焦がす、夕方前の白い太陽。じりじりとした熱気を感じる肌が、ふいの瞬間、涼しい風に撫でられて。湧き上がる雲に、くっきりとした陰があるのに気が付いて」
「……」
「それで私は、夏だな、と。……なんとなく、本当になんとなく。ちょっとだけ、泣きそうになったりしましたり」
「……ああ。うむ」
「あはは。なんだか、先輩のりりかる部分が、私にも感染しちゃったような――」
「待て。……リリカルなのか、俺は?」
「え」
「……」
「えっと、あの。……先輩が、りりかりすとでぽえまーなのは、もはやもう、人類規模で周知のことだと思うのですが……?」
「……なんと」


◆【20150630】
「こう、己を顧みてみますとね。……ほめられてのびるかどうかは、ともあれのこととしましても」
「ああ」
「叱られてのびるタイプじゃないのは、もう確実なことなのですよ」
「なるほど」
「ですから先輩、ほめてほめて」
「……良かろう。君を言祝ぎ、賞讃を捧ぐ言葉の類は、数限りなく思い付く――」

「――と。こんなところだ」
「さ、三十分間、みっちりきっちり、ほめとーくの雨あられ……」
「さて、伸びただろうか」
「あ、あはは。確かにこう、頬の筋肉とかそういうものは、のびきっちゃったような気がします……」


◆【20150701】
「ふふ。むふふ」
「何やら随分、御機嫌のようだ」
「だって、先輩。……蝉の声を、聴いちゃったのですよ!」
「……なんと」
「学校帰り、雨あがりの青空のした。……水溜りをよけて歩く路の途中で、ふと気が付いたのです。気が付いちゃったのです」
「ああ……」
「それはまるで、遠い世界からの残響音。遥か彼方の稲妻を眺めるように、その明滅を知るように、――まぼろしみたいに、ほんのひとときのことでしたけど」
「……」
「それでも、私は確かに聴いたのです。かさなりあうあの声を。眼を眩ませるあの音を」
「であれば、だ。……今年も、夏が訪れたのか。あらゆる刹那が永遠の相へと変わる、あの季節が」
「ええ、来たのです。とこしえの憧憬と郷愁を宿した風が、熱く熱くかつ涼やかに吹き渡る、あの季節が」
「夏、か」
「ん。夏」
「……。夏、か――」


◆【20150702】
「働くとは、何であろうかと考える」
「むむ。なんだか、珍しい話題です」
「何も、思うところなどがあるわけではない。いつも通りの、気紛れに過ぎないさ」
「ん、りょーかいです。……それで、働く、とは?」
「余計な殻や修辞を削ぎ落とし、究極を言うならば、それは生存の為の手段だろう」
「つまり、お金を稼ぐための」
「ああ。生存には、衣服と棲家と食事が不可欠だ。そしてそれらの入手には、概ねの場合において、金銭が要求される」
「ええ、です……ん、……むむ」
「どうした」
「……考えてもみれば、これって、ひとつ遠回りをしているのですね。いしょくじゅーを手にするために、他の誰かに、お金を払うという段階で」
「……まさしく以て、その通り。もし俺達が、他者から購入することなしに、服を家を食料を、手ずから作り、独力で確保することが出来たなら」
「そのこと自体が、働くことそのものになる。……いえ、むしろ、そういう自給自足の生活は……」
「……己の生存とは無関係な作業をなして、金銭を手にするという、貨幣経済のありかたよりも、ずっと労働の本質に近い」
「ふーむ。ふむむ、んむむ……」
「だが、まあ。どちらがより優れているなどと、今の俺が、簡単に言っていいものではないだろう。……自給自足を肯うとして、それは所詮、桃源郷じみた田舎暮らしへの、無責任な憧憬に過ぎんのだから」
「んむ、かもですけれど。でも、先輩」
「ああ」
「憧れって、たいせつなものだと思うのですよ。今ないものに、手にできるはずもないことに、想いを馳せて、夢見るように恋をして。……そういうのって、忘れちゃだめだと思うのですよ」
「……」
「そもそもにして、ええ。憧れちゃうのも、致し方ないというものです。田舎の暮らし。田舎の夏」
「田舎の、夏」
「視界いちめん、若い稲葉の緑色。遠い遠い空の青色、積み上がる白い雲」
「遥か彼方から吹き渡る、夏色の風。眩く突き刺す、太陽光線」
「うーん、のすたるじあ」
「ああ、ノスタルジア……」
「……はっ」
「……。油断をすると、すぐこれだ」


◆【20150703】
「自給自足なる、その本義を全うするということ」
「ん……」
「己の手足、ただそれのみを以てして、己が命の、その維持に不可欠なることごとを、全て事足りさせようとする。……考えてもみれば、実現可能性の甚だ低い、夢物語であると言えよう」
「あはは、ですねえ。……まず、どうにかこうにか木を切って、作業台を準備して」
「木斧を作り、より効率的に木材を収集し」
「木製のつるはしで、石を掘り出し、炭を掘り出し」
「より高精度なる、石製のツールを製作し」
「土を積み上げ、さいしょの夜を越すための、簡単な家を築いて」
「死人や蜘蛛や骸骨戦士、また爆発を起こす怪生物が蔓延る夜間を、怯えながらも遣り過ごし、朝日を迎え」
「いちおう、石の剣を作っておいて、ちょこっと先まで脚を伸ばして」
「竈を用意し、麦畑を整えて、空腹ゲージの回復や、家畜の飼育も視野に入れつつ」
「そんなこんなと並行しながら、鉄を探しに、階段掘りもはじめちゃったり。……ここから先は、無限無窮のぷれいすたいるが、あなたを待っているのです」
「……」
「……」
「……いつから、マインクラフトの話になっていた?」
「あー、……ひょっとしてもしなくても、最初から?」


◆【20150704】
「何もしてない。何かを考えてさえいない。だらだらして、ぼんやりして、時間をどぶに投げ捨てた。……でも、きっと、それで構わないと思うのです」
「……それは」
「だいたい、『意義ある時間の使い方』なんて概念は、そもそも空虚な幻なのですよ。……だって、こんな世界に生まれ落ちてしまった時点で、そのひとの人生なんて、まるで無為なものに過ぎないのですから」
「そうだな。覆し得ぬ、一つの真理であるだろう」
「ええ。だから、先輩。……やるべきこと、義務感、そんなものはぜんぶぜんぶ投げ捨てて、いっしょにごろごろしちゃいましょう?」
「……。その誘惑に抗う為の理屈など、俺にあろう筈もない」


◆【20150705】
「あー、暇ですねー……」
「暇だな」
「素敵ですよねー、暇って……」
「ああ。違いない」
「私達、朝から今まで、いったい何時間ものあいだ、こうしてごろごろしていたのでしょうかー……?」
「七時間、だな」
「うぁ、しちじかん。ひょっとしてもしなくても、新記録更新ですかねー……」
「また言えば、その質問は三度目になる。記録更新の宣言も」
「あー、でしたっけー……あはは」


◆【20150706】
「たそがれどき、なのですよ」
「ああ」
「黄色で、昏い。字面からして、ついつい夕焼け空を思い浮かべちゃいますけれど……」
「……その実、言葉の原義は『誰そ彼』。道行く人の顔も判別出来ぬ、宵の闇――と」
「ん、そーいうことです。……だからつまり、今ぐらいの暗い時間が、本来的な黄昏時」
「だろうな」
「ふふ。私の隣を歩いている、背の高い男の人は、誰そ彼?」
「ふむ。俺の隣を歩いている、小柄な少女は、誰そ彼女か」
「あはは。私の方の解答は、私の大好きな先輩なのですけどね」
「当然ながら、俺の方の解答は、俺の大好きな後輩だ」
「……」
「……」
「……こういう風に掛け合っちゃったあとの、何とも言えない気恥ずかしさには、なにか名前を付ける必要があるような気がしますねえ」
「……そうだな。同感だ」


◆【20150707】
「ゆどうふ。ゆどうふですよ、先輩」
「湯豆腐か。かの淡白なる透明感は、時折酷く恋しくなるな」
「おお、すてきな響きです。……本場だと、こんぶを敷いて、お豆腐だけを炊くのでしたっけ?」
「そうだな。簡素の極み、一種の禅味を思わせる」
「いいものではありますけれど、椎茸と水菜ぐらいは、大目に見て欲しい気持ちもありますね」
「容れてくれるさ。その如きの具材なら、寧ろ『らしさ』を高めるものだ」
「あはは、だといいですが。……それと、先輩」
「ああ」
「湯豆腐と言えば、あれですよ。温泉旅館で出てくるような、一人用の小さなお鍋。蓋はもちろん、木製で」
「固形燃料を燃やす焜炉とセットの、あれのことだな」
「ですです、あれです、あれのことです。……ライターで火を点けてもらって、じっくり温まるのを待って」
「……卓上において、そのまま熱々のものを頂く。何とも何やら、旅行情緒を増大させて余りある」
「まさしくもう、そうなのです。情緒、風情、あともすふぃあ」
「しかしとはいえ、あの焜炉と鍋の一式。一体全体、どこで入手したものか――」
「むっふっふ」
「何だその、不穏な笑みは」
「――よいしょ、っと」
「……。まさか、その箱は」
「――続けまして、よいしょっと」
「御丁寧に二つだと……!?」


◆【20150708】
「今日もまた、ふと見上げちゃってました」
「ふむ……」
「そらを。暮色を。――今にも割れて泣き出しそうな、夕暮れ空を見ていたのです」
「空――か」
「あはは。りりかりすとの先輩を持っていますと、どうにもこうにも、影響されていけないですよ」
「その発言の真偽については、後ほど論議に付すとしよう。……それで、どうだった。今夕の天蓋は」
「ん。……雨もよいの青灰色は、いかにも寒くてつめたくて。重たい雲は、いかにも暗くて鈍色で。……世界のぜんぶが、閉ざされているようでした」
「なるほど」
「でも。……あしたの天気につながってゆく、西の空のはたてには、――僅かに、ほんの僅かに、透明な青がみえた気がして」
「……ふむ」
「濁った暗いブルーグレイが、かなたに向かって透き通ってゆく。未来に向かって、澄み渡ってゆく。そんなことに想いを馳せて、佇んで、――ふと、湿った風が吹いてきまして」
「……」
「えっと、――それで。私には、あの一瞬に感じたことを、うまく言い表すことができなくて。その、もどかしいなあ、と」
「そうだな。……『風が、心に吹き込んできた』で、どうだ」
「……。わお」
「どうした」
「ああ、いえ。……何と言いますか、ぽえまーとしても、やっぱり先輩は先輩なのですね……と」
「……まるで褒められている気がしないのは、果たして気の所為であるのだろうか」


◆【20150709】
「んー……」
「……」
「……あの。先輩、ご存知でした?」
「唐突だな。何をだ?」
「この……いわゆる学校制服の、プリーツスカートというやつですが。外からは見えませんけど、ポケットがついているのです」
「……ふむ。知らなかったな」
「おお。先輩のことですし、女の子の制服なんかに関しては、まいすたーなものだとばかり」
「何だその、嬉しくもない過大評価は。……ともあれ、ポケットか」
「ええ。ぽけっと、衣嚢なのです」
「なるほど確かに、外見からは、まるで確認できないようではあるが」
「プリーツの裏側に、じつは仕込まれておりまして。ほら、ここに……、ん」
「……どうした?」
「むふふ。折角ですし、てさぐりで探してみます? 私のスカートに手を入れて、まさぐっちゃったりしちゃったりして――」
「……」
「……はい。なんでもないです」


◆【20150710】
「その、こう、――じゃがいも」
「ポテトとな」
「あー、つまりですね。大人数の前でしゃべるとき、前に居並ぶ人々を、じゃがいもやかぼちゃや何かに置き換えてみると、緊張がすこしやわらぐという、例のあれのことなのですが……」
「ああ。『人という字を、掌上に書いて飲み込む』なるメソッドに並ぶ、定番のあれのことだな」
「そうそう、あれです。……それで、私」
「うむ」
「ちょこっとだけ、教室の前に立たされて、すぴーちなんかをさせられちゃいまして」
「なんと」
「だから、試してみたのです。思い込んでみたのです。……じゃがいもだ。目の前にある無数の顔は、じゃがいもに過ぎないのだ、と」
「して、結果はどうだった?」
「……先輩。改めて、考えてみてもくださいな」
「あ、ああ」
「つまり、その。――じゃがいもですよ? 怖いですよ!? 私ひとりが教壇に立って、あとはぜんぶじゃがいもですよ!? じゃがいも畑で演説ですよ!? 何ですかこの、新手のサイコホラーは!? さもなくば、マニア向けの不条理カルト映画は!?」
「……言われてみれば。いかにもなるほど、不気味ではある」
「そんなこんなで、視界一杯、思考一杯、じゃがいもで埋め尽くされちゃいまして。もう、すぴーちどころじゃなかったのです」
「何やら、何とも。……お疲れ様と、そう言うべき他ない」
「あはは、ほんとに。……でも、悪いことばかりじゃないのです」
「ふむ。そうなのか?」
「おかげさまで、今日のばんごはんは、じゃがいもたっぷりの肉じゃがになるのですから」
「……それは、よもや、級友の首級――」
「ふふふ、……うふふふ。楽しみにしていてくださいね?」


◆【20150711】
「なんだかたまーに、なんとも無性に、列車に乗りたくなるのです」
「移動手段としてでなく、か?」
「ですね。特に目的も行き先もなく、ただただ揺られていたいな――と」
「分かる気がするな。……線路を踏み締めてゆく轟音、そして絶え間なき震動は、何故か快いものとして感得される」
「ん。……がたんごとんと、鉄のリズムがここちよく、窓側の席でぼんやりと」
「また言うならば、夏の朝が特に良かろう」
「ふむふむ。ほどよく冷房の効いた車内に、差し込むひかりが眩しくて――」
「――窓の外を流れ去るのは、どうしようもなく夏色をした景色。ひたすら続く田圃の緑。果ての知れない空の青。湧き上がる雲の白」
「わお、のすたるじっく。いけないですね。とてもいけないやつですよ」
「まさしく以て、いけないな」
「ん……」
「……」
「……あの。先輩」
「分かっているさ。早速、出掛るとしよう」
「――はいっ!」


◆【20150712】
「できたてのジャーマンドッグの、パンがぱりっと香ばしく。淹れたてのコーヒーは、熱い湯気を立ち上らせて」
「ああ」
「こんなことで、人はちょこっとしあわせになる。そんな些細なしあわせを、繰り替えしては積み上げる。それはいつしか、生きるためのちからに変わる――」
「……」
「――なんて。あはは」
「なるほど。……幸せ、か」
「ん……」
「であるのならば、もう一杯分の幸福を、ここに頂くとしよう」
「ふむむ。つまり、おかわり」
「うむ。君はどうする」
「ん。でしたら私も、もう一杯ぶん、幸せになっちゃうとしましょうか」


◆【20150713】
「……あの。先輩」
「ああ」
「どうにも、うまく想像できないのですけれど。……先輩にも、こーこーせーだった頃があるのですよね」
「まあ、それはそうだが。……何故、急に?」
「昼ごはんを食べながら、考えこんでしまったのです。……こう、今よりちょこっと若い先輩が」
「うむ」
「黒の詰襟を着て、背筋をぴんと、エナメルバッグを肩からかけて。教科書を机に詰めたり、購買でパンを買ったり、体操服姿で汗を流したり」
「……」
「夕焼けの差す放課後の図書館で、静かに本を開いていたり。下校の途上、コンビニで買い食いなどをなさったり。そんなひとまが、先輩にもあったのだなあ、と。……なんだかそれが、不思議なのです。だって、先輩は先輩なのですよ?」
「先輩は、先輩。……俺は俺、か」
「ええ。私が見ている先輩。私が知っている先輩。――私の頭の中の先輩」
「……」
「私が、先輩だと感じる先輩。そして現実に、これまで生きていらっしゃった先輩。そのあいだにある差異は、きっときっと、とても広くて深いものだと思うのです。……それで、私は」
「……」
「ちょっと、ちょこっと、すこしだけ。――そのことが、寂しくて」
「……。恐らく」
「先輩?」
「誰も彼も、他者の全てを知り得ない。たとえ恋人同士であったとしても、分かち合い得る瞬間は、以外な程に少ないものだ。ひとがひととして生きている、その永い時間に比べれば」
「ん……」
「だが、だからこそ、コミュニケーションという概念がある。人類は、その為の術を編み出した。つまり、言葉を」
「……」
「一者と一者の認識が、完璧に重なり合うあわいなど、絶対に訪れ得ない。無限の狭間を瞬時に超える、都合の良い翼などない。だが俺達には、言葉がある」
「……私達には、言葉がある。思うところを、近付けあうことができる。少しでも。少しづつ」
「ああ。だから」
「……」
「知りたい事項は、聞いて欲しい。また、答えて欲しい。分かち合って欲しい。その為の手段なら、既に用意されているのだから」
「……だったら、先輩。私は、訊ねちゃいますよ。ほんとに、根掘り葉掘り、質問しまくっちゃいますよ。なずなでさえも残らないほど、掘って掘って掘り尽くしちゃいますよ?」
「……。一応、お手柔らかに頼むとは付しておく」
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