彼:
夏が近づく度、スーパーマーケットの陳列棚に登場する、夏祭りをイメージした缶酎ハイの類に弱い。
ラムネ味だの、冷やしパイン味だの。

後輩:
二十歳になったら、金曜夜の暗い居室で、ビールを飲みつつロボットアニメを鑑賞してみたい。
彼女が抱く、密かな憧れである。


◆【20150530】
「んむ……くぁ」
「目覚めたか。おはよう」
「おはようございます、先輩。……そして、おやすみなさい。私はこれから、二度寝の至福を手にするのです」
「とは言うが、登校日だ。そろそろ起きねば、遅れるぞ」
「むっふっふ。その手は桑名の焼きはまぐりで、その手にゃ乗らぬの野良猫ですよ」
「なんと」
「今日は、お休み。きっちりばっちり、休日なのです」
「ばれたか」
「寝惚けてると思いまして、雑な手段を使いましたね、先輩」
「……まあ、良いさ。朝食と珈琲を準備するから、そのまま臥して待っているがいい」
「はあーい……ふふ、むふふ……」


◆【20150601】
「あくまでこれは、言葉のうえでの話なのです。言葉の響きの話なのです」
「拝聴しよう」
「『スパッツ』と『レギンス』だったら、まだ『スパッツ』の方が、可愛らしいと思うのですよ」
「……ふうむ」
「『ジーンズ』と『ジーパン』でしたら、『ジーンズ』を選びますけど」
「何やら、繊細な機微を感じるな」
「『あっぱっぱ』と『チュニック』ですと、『チュニック』の方を採りがちなのは、致し方ないというものですよ」
「……あっぱっぱ?」
「それでは、続きまして――」
「――すまんが、一時停止だ」
「ん。先輩?」
「無学なことに、意味するところは知らないのだが。……その『あっぱっぱ』なる文言を、いまひとたび、君の口から聞いてみたい」
「え、えと。……あっぱっぱ?」
「もう一度」
「あっぱっぱ」
「素晴らしいな」
「……あー、先輩。ひょっとして、眠い?」


◆【20150602】
「……む」
「お。先輩、おめざめですね」
「すまん。夜も更け切らんとする頃合いだと言うに、転寝をしていたか。……しかし」
「雨、ですか」
「そうだな。雨だ」
「いやはや、降ってますよねえ。それはもう、ばたばたと、ざあざあと……」
「いかにも、降っているな。……この音響に、俺は起こされたのか」
「ごめんなさい。窓、網戸にしちゃってましたから」
「構わんさ」
「ん、ありがとうございます。……こう、アスファルトを叩く音とか、闇に甘く香り立つにおいとか、ひんやりとした空気とか、どうにも好きなものでして」
「同意しよう。居室で迎える夏の降雨は、常に快いものだ」
「あはは。ですね」
「うむ」
「夏の夜の雨の中、ワンルームに降り籠められて、先輩と二人きり。……こういうのって、なんだかとっても素敵です」
「……。それにもまた、同意しよう」


◆【20150603】
「懐状況、住居状況、生活状況。……何をどう勘案しても、届かないことは知っている。だがそれでも、夢想するのを止められない」
「むむ。先輩?」
「一つの願いが、常にあるのさ。――犬を、飼いたい」
「あー、はいはい。分かります、分かっちゃいます、そのきもち」
「そうだろうとも」
「ドッグカフェとか、割と手軽で、かつ素敵ではあるのですけど。――でもやっぱり、自分の生活そのものに、その風景に、いつも犬がいてくれればいいのにな、と。そう望んだりしちゃうのは、致し方ないというものですよ」
「うむ。まさしく、君が口にした通り」
「……さて。そんな犬派の先輩に、ここに一つの朗報が」
「なんと」
「不肖、後輩。言うなれば、そう、じゅーじゅんな飼い犬です。先輩にだけ、しっぽとかも振っちゃいます」
「……いや、それは」
「むふふ。いぬサービス、なのですよ?」
「ふむ。……あるじの手を噛むサービスは、そこに含まれているのだろうか」
「うわ、――えー、えと、報償次第?」


◆【20150604】
「昼の世界は、白く熱を帯びていて。遠い空の青色が、ひどく瞳に眩しくて。――夏が来たなと、思うのです」
「そうだな。紛うことなく、夏という名を冠するところの、一つの季節が訪れている」
「全く以て、それはもうなことなのですよ。……でも、先輩」
「ああ」
「ここ、最近。――毎晩毎晩、夜の闇が来る頃合に、昼間の暑さが信じられないほどの、妙な寒さも感じませんか?」
「ふむ。……言われてみれば、確かになるほど、肌寒い」
「むふふ。であるからして、先輩抱き枕の復活のとき――」
「させんぞ」
「そ、そんな!」
「何故ならば、今この度は、君に抱き枕となって貰うが故に」
「きゅんと来ますよ、そういう発言!?」


◆【20150605】
「……さむい」
「……寒いな」
「何ですか、何なのですか、この、まるで真冬に降るような、骨身に滲みるつめたい雨は。今、六月なのですよ? 地球の反対側ですか!?」
「落ち着け。……しかし実際、洒落にならない寒気ではある」
「だから先輩、はやくこたつを。せめて電気ストーブを。それがだめなら裸で抱き合っ――」
「落ち着けと言うに。……だがまあ、そうだな。冬物の羽毛布団を出すぐらいなら――」
「――はいっ、敷きました!」
「……いつの間に!」


◆【20150606】
「ふふふふふーん、ふふーん、ふふーん」
「……」
「ふーん、ふーん、ふふふふーん」
「……『ステアウェイ・トゥ・ヘヴン』か」
「えっ、あ……鼻歌、聞こえちゃってました?」
「ああ。拝聴していた」
「あはは、何やらお恥ずかしい。こう、家事の時の癖でして」
「そのようだな。三日前は、『ブラック・ナイト』であったように記憶している」
「う……」
「遡って回顧するなら、一週間程前に、『サンシャイン・オブ・ユア・ラヴ』を――」
「――す、すとっぷ! すとっぷです、先輩!」


◆【20150607】
「と、いうわけで」
「何が『と、いうわけで』なのか、全く以て分かりかねるのですけれど。……えっと、どうかしたのですか、先輩?」
「つまりだな。つい先刻、偶然にして、部活帰りの男子高校生が眼に入ったというわけだ」
「ふむふむ」
「エナメルバッグを提げた彼等は、所謂ところの、カルピスソーダを飲んでいたようだった。内容量半リットルの、ロング缶とでも呼称しようか」
「あー、はい。あれですね」
「うむ、あれだ。……そして、俺は」
「ん、先輩は?」
「夕陽に炙られ、橙に映える彼等に魅入られた俺は、つい、カルピスソーダの缶を手にしていたというわけだ」
「ふむむ。まあ、ありそうな一幕ですけれど」
「家路を歩む道すがら、俺は、その飲料を口に流した。流し、飲み込み、何かを思い出そうとした」
「む、むむ」
「思い出せそうだった」
「お、おお?」
「青春なのさ」
「青春なのさ!?」
「青春は、辛いのさ」
「青春は、辛いのさ!?」
「……」
「だ、……黙られないで下さいよ!?」


◆【20150608】
「夕陽の色が赤すぎて、死にたくなってしまうことがある」
「む、ふむむ……」
「何もかもを燃やし尽くして、昨日に還りたいと思うことがある」
「むむむ」
「なに、戯言だ。……だが、なくすべきでない感傷だ」
「ん。……先輩」
「ああ」
「先輩の、仰ることは。私には、まだ……分かるはずのない、ことがらなのだと思うのです」
「……だろうな」
「それに、きっと、どれだけ理解しようと頑張ったとしても、先輩のそれと重なり合うことは、絶対にできないことだから」
「……」
「だから、それは。先輩にとって、大切なきもちなのですね」
「……君は。本当に」


◆【20150609】
「何見てるんですかー、先輩」
「いや、なに。少しばかり、この星の行く末をだな」
「ああ。インターネットの、天気予報なのですね」
「光差すことの約束されし、明日という日に祝福を」
「降水確率、ぜろぱーせんと。どうやら明日は、いいお天気になりそうです」
「……」
「……」
「……」
「……だ、だって。反応、し辛かったんですもん……」


◆【20150610】
「ふと、考え込むことがある。――世間における、恋人なる者達は、どの程度の頻度で、好意を伝え合うものなのだろうか、と」
「ふむむ。……もともとの関係とか、つきあってきた時間とか。いろいろと、絡み合っていそうではありますけれど」
「ま、それはそうだ。データ的な平均を取ったところで、恐らく意味などありはすまい」
「ですね。『恋人』だなんて括ってみても、結局は、それぞれちがった形をしている、それぞれちがった関わり合いなのでしょうから」
「ああ」
「ん……」
「……まあ、何だ。つまるところは」
「先輩?」
「好きだ。君のことが」
「――っ」


◆【20150611】
「そりゃ勿論、平穏なのが一番です。ぴーす・おぶ・まいんど、なのですよ」
「同意だな。波立たせることなしに、ゆるりと過ごしているのが一番だ」
「でも、たまには……こう、刺激というか、驚きみたいな何かのものも、欲しくなったりするわけでして」
「それにもまた、同感の意を唱えよう。……ま、贅沢な願いであるとは言えようが」
「あはは。罪深いことですよ」
「うむ。全く以て、罪深い」
「ええ。つみぶかい……」
「……」
「……」
「ヒュワアアアアアアア! ヒュワアアアアアアア!」
「……――っ!?」
「……さて。驚いてくれただろうか」
「お、おおお驚きましたけどっ、驚きましたけどっ!」


◆【20150612】
「焼き鳥という、肴があるな」
「ええ、ありますね。……さかな、つまり、お酒のおつまみと言い切ってしまうのは、どうかとも思いますけど」
「そこが重要な観点であると、俺は思っているのだが」
「む、ふむむ」
「つまり、だ。……焼き鳥とは、飽くまで形式を楽しむものであると、俺は考えている」
「形式……というと、焼き鳥屋さんで食べるという、そういうかたちそのものが、大事なのだということですか?」
「そうだ。そもそも焼き鳥という食物は、串に肉を突き刺し、熱を通わせただけのものに過ぎない。たとえばスーパーで買って来て、家で食するのだとすれば、それは所詮は、肉類の焼き物に過ぎないということだ」
「う、うーん」
「焼き鳥を供する居酒屋のカウンターで、目の前で焼かれ、小皿に乗せて差し出され、ビールや日本酒を傾けながら食すものこそ、焼き鳥の本質であるとは言えぬだろうか」
「……ああ、うん、先輩。つまりは、こういうことなのですか」
「ふむ」
「大丈夫ですよ。……先輩が、お仕事帰りに、焼き鳥屋さんに立ち寄って、お酒を飲んでから帰ってきたことについて、誰も責めたりなんかしませんから」
「……すまん」


◆【20150613】
「目の前にあるグラスには、炭酸水が注がれている。……まあ、見ての通りのことではあるが」
「ええ。それはもう、見ての通りのことですけれど」
「そしてこれから、俺がそれを嚥下するということも、また自明の事象であると言えよう」
「ふむむ。えっと、先輩?」
「つまりだな。ここにある炭酸水を、その量を、仮に二百ミリリットルであるとする。……飲めば、俺の体重は、ただちに二百グラム増加する。言うなれば、炭酸水は、即座に俺そのものとなる」
「……あー。先輩が何を仰ろうとしているのか、たぶん分かっちゃいました」
「拝聴しよう」
「ええと。――『先輩が飲んだ炭酸水は、先輩になる。先輩は、これから炭酸水を飲む。だとすれば、ここにある炭酸水は、すでに先輩であると言えるのではないか』」
「……流石。またぞろ、見事に言語化したものだ」
「お褒めに与り、こーえいです。……それと、ごめんなさい。失礼します」
「ふむ」
「ん、く。――むふふ、どうです」
「……なるほど」
「ええ。先輩になるはずだった、言わば先輩そのもののはずだった、この炭酸水は――」
「――君が飲み下したことにより、今や、君そのものとなった。……俺は、君となった」
「ん……」
「……」
「……あ、あはは。結構、恥ずかしいこと、しちゃいましたかね……?」


◆【20150614】
「ねえ、先輩」
「ああ」
「先輩のお部屋に、お泊りしているときに。一緒の布団に潜り込んで、おやすみの挨拶を交わした後に。眼を閉じて、うつらうつらしながらも、何だか眠れないときに」
「……ああ」
「ほんとにたまに、ですけれど。……先輩が、静かに寝床を抜け出して、静かにベランダに出てゆくのに、気が付くことがあるのです」
「それは」
「いっつ・とーすてっど、でしたっけ」
「お見通し、というわけか。……すまん」
「あ、いえいえ。もちろん、責めているのではないのですけど――」
「……ふむ」
「先輩と知り合って、お付き合いを始めて、気付けば長い時間が経って」
「……」
「思えば、私。先輩が煙草を吸っているすがたを、一度も見たことがないのだな、と」
「本人を前にして、敢えて言うことでもなかろうが。……それは、見せぬようにと、心を配しているからだろう」
「それは、どうして?」
「……大切な何かであるものが、駄目になる気がしているから、だろうか」
「そんなの。だめで、いいじゃないですか」
「……」
「だめだめで、いいのです。それで、何の問題もないじゃないですか」
「……そうなの、だろうか」


◆【20150615】
「いわゆるところの、しがーきす」
「ふむ。一者が喫する煙草の先端で、他者の咥える煙草に点火するという、例のあれのことだな」
「ええ、それです。……ああいう描写を見るにつけ、ちょこっともやっとしちゃうのですけれど」
「ああ」
「実際のところ、どうなのでしょう。あれって、ほんとにできるものなのでしょうか……」
「可能だな」
「ありゃ。そうなのですか?」
「うむ。その昔、試してみたことがある」
「ふむふ――えっ?」
「どうした」
「いえあの、そんっ……それっ、えとあのだれと――」
「当然ながら、一人でだ」
「……あ、あー……あはは」


◆【20150616】
「フランクフルトを口にするたび、ふと思っちゃったりしちゃうのですよ」
「ふむ。何をだ?」
「ええと、つまり。……串に刺さった、肉厚のフランクフルト。ぱりっと焼けて香ばしく、かつ歯応えは瑞々しくて、とっても素敵なものではあるのですけど――」
「ああ。違いない」
「――昔は、夏祭りの夜だけに食べられる、特別なものだったのになあと。焦げたソースや醤油やら、色々なにおいが混ざり合った空気の中でだけ、食べていいものだったのになあと」
「……」
「それが、今や。どのコンビニチェーンでも売っている、ありふれたものになっちゃいまして。……どことなく、寂しい気分にさせられたりもするのです」
「なるほどな。そうした君の感傷に、俺は無尽の敬意を払いたい。……だが、しかし」
「んむ。だが、しかし?」
「それでも君は、郷愁を飲み下してでさえ、敢えてコンビニのフランクフルトを購入するのだな、と」、
「だ、だって。美味しいから……!」
「はは。すまん」


◆【20150616-2】
「……しかし、まあ。それにしても」
「ん。先輩?」
「こうして、改めて目前にもしてみれば。……余人がフランクフルトを頬張っている姿というのには、何やら新鮮な印象がある」
「――え。……そ、そうですか?」
「なに、ただの妄言だ。気にせず、食事を続けるといい」
「ちょ、ちょっと待ってください。そんなことを仰られたあとで、気にしないわけにはいかないのでは――」
「……」
「――。そりゃ」
「むぐっ」


◆【20150619】
「んふふ。今日は私が作っちゃいますよ、ばんごはん」
「なんと、嬉しい申し出だ。……しかし、碌な買い置きもないのだが」
「いえいえ。冷蔵庫の残りものから、ばんごはんをでっちあげるのは、後輩としてのたしなみでして」
「大きく出たな」
「不肖、後輩。この食卓を、創造性で満たしてごらんに入れましょう」
「そこまで言うなら、任せざるを得ん」
「先輩は、どっしり構えてお待ちあれ。……ではでは、冷蔵庫の中をはいけ――うわ」
「……」
「ええと。キャベツと、うどんと、豚の細切れ……だけ?」
「そうだな」
「な、何ですか。この、焼きうどん以外の未来を拒絶するかのような、びっくりするほど洗練された余り具合は」
「さあ、見せて貰おう。君の創造性なるものを」
「無茶を仰る!?」


◆【20150622】
「歩いていたい。歩き続けていたい。永遠に。悠久に。――どこかへ。ここではないどこかへ。誰も知らない遥か彼方へ、どこでもないどこかへと、歩き去って消えてしまいたい」
「……」
「薄橙色の放課後に、そう願っていたことがあるのです。……昼を焦がした太陽光線が、やがて夕闇の果てに溶けてゆくのを、ただぼんやりと眺め遣っていて。――この世のどこにも、私の居場所はないんだな、って」
「……」
「ええ、分かってはいたのです。こんなの、ただの自意識過剰に過ぎないのだと。たぶんきっと年相応で、ごく当たり前な被害妄想でしかないのだと。……でも、あの不快な息苦しさは、確かに現実のものだったから」
「……」
「なんだか、不思議に思っちゃうのです。今の私が、この場所で、先輩のとなりで、――たったひとつの私の居場所で、当たり前に息をしていられるということを」
「……そうか」
「……って。ちょっと、語り過ぎちゃいましたかね?」
「なに。……俺が、君の酸素ボンベとなれているなら、それは願ってもない幸いだ」
「あはは。でしたらもう、遠慮なく吸っちゃいますよ? すーっ、はーっ、すーっ、はーっ……むふふ」
「……。変態か」
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