彼:
社会人。二十三歳。
未来永劫、彼は二十三歳なのである。

後輩:
高校生。十五歳。
未来永劫、彼女は十五歳なのである。


◆【20150301】
「三月ですよ」
「三月だな」
「弥生なのですよ」
「弥生だな」
「春。それは別れ、そして出会いの季節……」
「進学、就職、それに伴う住居変更。色々と、慌しい時期でもあるだろう」
「む、なるほど。……お引越しは、確かに大変そうですねえ」
「越した先で、新生活の基盤を確立することが、最難題と言えるだろうな」
「ふむふむ。それじゃあ、人生の先輩であるところの先輩に……」
「ややこしいな」
「新たな暮らしを始めるにあたって、これだけは持っておいた方が良い! ――というアイテムを、ひとつ教えて頂きましょう」
「ふむ。……それは持ち歩くに不都合がなく、手に入れるのも容易いものだ」
「おお?」
「しかも、汎用性に富むと来ている。蔑ろにされがちなのは、残念なことと言わざるを得ん」
「むむ、何やら凄そうですが。それは、一体?」
「『品位』」
「あ、あはは……」


◆【20150303】
「春ですけれど、何だか実感がないのです」
「三月頭のそれとしては、酷な寒さが原因か」
「ん、かもですね。……であるからして、先輩とぴったりくっついて過ごすのが、きもちいい感じではありますが――」
「認めるに、吝かとは言えないな」
「あはは、どもども。……でも、こうしてばかりはいられないとも、思っちゃったりしちゃうのですよ」
「つまるところは、春めいた行いをしてみたい、というわけか」
「できることなら、すぐにでも」
「ふむ。……では、春と言えば?」
「お花見――は、もうちょこっと先ですね」
「直近にというならば、条件からは外れるな」
「雛祭りに便乗とかは、まるで柄でもないですし」
「全くだ」
「意表をついて、花粉症?」
「時節は来ているようではあるが、遠慮したいところだな」
「後は、えーと」
「ああ」
「そうだ、あれです。……はつじょーき」
「……」
「あいたっ」


◆【20150304】
「むー。びしょびしょです……」
「災難だったな。体が冷え切らない内に、シャワーを浴びて来るがいい」
「ん、ありがとうございます。……着替えを置かせて頂いていて、助かりました」
「そうだな」
「申し訳ない気持ちも、ちょこっとあるのですけどね」
「今更、遠慮しても仕方がないさ」
「あはは、それもそうです。……改めて、ありがとうございます」
「ああ」
「……ところで、先輩。割と毎回、思っているのですけれど……」
「ふむ。何か、問題が?」
「その、えっと。――先輩に、着替えを漁られた跡がないのは、すこし寂しく感じちゃいます」
「……今、何と」


◆【20150305】
「ねえねえ先輩。聞いて下さい、聞いて下さい。聞かなきゃ家が燃えちゃいますよ?」
「元より、断るつもりなどないのだが。何やら、物騒極まりないな」
「可愛らしく擬人化したら、家に萌えちゃうかも知れません」
「残念ながら、そのような趣味はない」
「さもなくば、萌え出づる春になりにけるかも?」
「……。して、聞いて欲しいこととは何だ?」
「それはもちろん、今から考えるのです」
「何たる、傍若無人であることか。……絶好調のようだな、今日は」
「えへへ。おかげさまのことですよ」


◆【20150306】
「十数年も学生生活を続けていた中で、女性に消しゴムを拾われる機会がなかったということは、幸いなのか、そうでないのか」
「あー。勘違いして、告白して……っていう、例のあれのことですね」
「ああ。有名なネタであるだけに、共感不能であることを、少し寂しく思ってな」
「じゃあ、えっと……はい、先輩」
「突然、消しゴムを手渡されてしまったのだが」
「さあさあ、落として下さいな。拾いますから」
「……。して、俺が、君に告白すればどうなる?」
「その場でぎゅーっと抱きついて、でぃーぷな感じでキスしちゃいます」
「……」
「無言で消しゴムを片付けなさる!」


◆【20150307】
「反省しきり、自戒もしきり。今度はちゃんと、しっかり考えてみたのです」
「ふむ。何をだ?」
「そう、つまり。――先輩と行く、温泉旅行!」
「……ああ」
「温泉地と言うならば、やっぱり露天風呂なのですよ。それもできれば、客室付きの、ぷらいべーとな」
「なるほど。硝子戸越しに縁側があり、その先の中庭じみた空間に、小振りな浴槽が作られている」
「そうそう、まさにそういう形式の。……ちょっと、想像してみてほしいのです」
「ふむ」
「濃紺の空、湯煙にぼんやり霞む月。ゆっくりのんびり落ち着いて、静かにお湯に身をひたす……」
「確かに、魅力的であることは否定すまい」
「そして何より、いっしょに入浴できるのですよ」
「……」
「むふふ……先輩と、ふたりでお風呂。旅の高揚がどうかしちゃって、もしかしてもしかしちゃうと、あんなことやこんなことさえ……!」
「では、行くか」
「――え」
「そのような温泉旅館に、心当たりがありはする。やや値は張るが、この際だ」
「えっ、あ、あの……ほんとに?」
「ああ。本当に」
「うわ、うわ。あのそのえっと、じゃあえっとその――」
「うむ」
「み、水着は着てても……いいですか……?」
「――ふ」
「あっ、わ……笑いましたね!?」


◆【20150308】
「己の優柔不断なることを、まざまざと見せ付けられていることだ」
「ふむむ。先輩、なにかお悩み中?」
「まあ、な」
「じゃあ、えっと。……お手伝いになるかは分かりませんけど、できれば聞かせて欲しいです」
「ああ。……魂が、引き裂かれそうになっているのさ」
「結構、重い話なのですね」
「重いと言えば、いかにも重い」
「ん。聞きましょう」
「つまり。――理性が求めているものは、古式ゆかしく清潔な、ヴィクトリア風のメイド装束の筈なのに」
「え、ええと?」
「フリル過剰で、いかにも作り物じみて可愛らしい、コスプレじみた類のものにも、心の一部が引き寄せられる。……ここに、克服し難い葛藤がある」
「……うわあ」
「全く以て、悩ましい」
「そ、そうなのですか……」


◆【20150309】
「はわわ系ガンアクション……」
「何だその、斬新かつ猟奇的と言う外はない文言は」
「戸惑われるのも、無理はないというものですね。……つまり、こういうことなのですよ」
「拝聴しよう」
「はわわ、宿命のライバルとの決戦ですっ。ちゃんとホローポイント弾を装填してきたでしょうか……」
「ふむ。……はわわ、銃がジャムってしまいましたあ」
「はわわ、敵さんの武器が機能不全みたいですっ。はわわ、どうしよう、撃っちゃってもいいのかなあ……?」
「はわわ、リロードがうまくいったのは良いけれど、敵が攻撃をして来ません。どうしましょう、どうしましょう、はわわわわ」
「……ふむう」
「どうした」
「その。……真顔で『はわわ』とか言う先輩を見ていると、何だかどうにも抑えきれない、それでも名前を付けがたい、不思議なきもちが湧きあがっちゃいまして」
「……はわわ」


◆【20150310】
「ねえねえ先輩」
「うむ」
「いいね!」
「いいのか?」
「む……」
「本当に、いいのだろうか」
「……いいんですかねえ?」
「或いは、よくないかも知れないな」
「うむむ。やっぱり、よくはないのかも……」
「更に言うなら、全く以て、よくないのではなかろうか」
「……よくないね!」
「うむ。よくないな」


◆【20150311】
「常日頃から、タフガイを標榜してはいるのだが」
「初耳ですよ、それ」
「冗談だ。……ハードな私立探偵であるなら兎も角、屈強でも何でもない二十三歳のこの身には、大雪の中で労働を遂行するということは、露骨に骨身に辛く響いた。もはや若くなどないと、痛感させられていることだ」
「ふむむ、おつかれさまです。……先輩はまだ、お若いとは思いますけど」
「ははは」
「か、乾いた笑いっ!?」
「いや、なに。ともあれ、本当に冷え込んでいるな」
「ん、ですねえ。一体、春とは何だったのか……」
「恐怖の季節は、未だ猛威を振るうことを忘れず、か」
「えっと、先輩。……ぬくもり、欲しいですか?」
「敬遠すべき選択肢など、ありはしないな」
「じゃあ……ぎゅっ、と。こんなところで、いかがでしょう?」
「……助かる」
「ん、ふふ。……ねえ、先輩」
「ああ」
「極寒地に住むエスキモーは、凍傷に罹ったとき、あざらしのからだで傷を治していたそうですよ?」
「……軽率な外部のネタは、一応よせと言っておこう」


◆【20150312】
「くるっくー」
「何だ、鳩か」
「ええ、鳩です。公園のベンチでお食事中と見るや、すぐさま近寄っちゃう系の鳥類です」
「これはもう、まさしく鳩だ」
「先輩にだけ、平和をお届けしたりもしちゃいます。……鳩サービス、なのですよ?」
「どうやら俺は、極めて小型の箱舟を作ったらしい」
「ふふふ。乗客は、一人と一羽」


◆【20150312-2】
「鳩なら、豆が欲しかろう」
「おお、さすが先輩。待っていました」
「生憎なことに、煎り大豆などはない。……しかし」
「む、冷蔵庫?」
「――これだ。紙パック入り豆乳を、幾つか買って来ている」
「き、紀文豆乳……」
「手始めに、おしるこ味はどうだろう」
「おしるこ味!」
「さもなくば、やきいも味」
「やきいも味!」
「甘酒味も用意している」
「甘酒味!」
「これはどうだ。新発売の、ジンジャーエール味」
「ジン……いやあの、待って下さい。何ですか、その下手物は!?」
「当然ながら、無炭酸」
「無炭酸!」
「選り取り見取りだ。そらやるぞ」
「……く、くるっくー」


◆【20150313】
「鳩ジョーク!」
「は、鳩ジョーク」
「この前のことですけれど。落ちていたひよ子饅頭を啄んでいる、仲間の鳩がいたんですよ」
「もはや、何に突っ込んで良いのやら」
「疑問に思って、聞いてみました。『何で、鳩サブレーじゃないんですか』って」
「……」
「すると彼は言いました。『可愛いからって、奴ら調子に乗りやがる。ひよこより俺達の方が強いってことを、分からせてやっているのさ』」
「……」
「そこで私は、言ってやったのです。『そんなことをするよりも、散歩でもした方が良いですよ。散歩だけに、三歩で怒りも忘れちゃいますから』」
「……」
「くるっくー」
「鳥類の冗談は、人類には早すぎるということなのか……」


◆【20150315】
「くっくどぅーどぅるどぅ」
「先輩が……にわとりに……!」
「うむ。庭でもなければ二羽でもないが、ともあれ俺は鶏だ」
「なんという、大胆かつ力強い宣言でしょう。何やら、真っ赤なとさかが見えてきました」
「であれば、更なる鶏要素も示してみるか」
「と、言いますと?」
「ああ。……今日の夕餉は、親子丼を予定している。鶏卵と鶏腿肉を、豪勢に用いることを約束しよう」
「身体を張った!?」
「牛の陰となるぐらいなら、寧ろ鶏の嘴となるさ」
「か、かっこいい!」
「ま、チキンハートなのだがな」
「落ちもついちゃった!」


◆【20150316】
「はわわ、ラッキーストライクの十一ミリと六ミリを、間違えて買っちゃいましたあ」
「……!?」
「……すまん。何でもない」
「はわわ系――先輩……!」
「……」
「ちょ、ちょっと待ってくださいね。今、ときめきが、こう、ときめきが」
「……自分で蒔いた種ではあるのだが、どうか落ち着いて欲しい」


◆【20150317】
「もはや、昔のことではあるのだが」
「おお。先輩の、昔語り」
「自炊を初めて、一年間。俺は、包丁さえも所持してはいなかった」
「――大胆告白っ!?」
「料理を得手とする君にとっては、奇妙に響く事柄かも知れないな」
「え、えー。奇妙というか、何というか、あの、……包丁は、どうしようもなく、要りますよね……?」
「まあ、聞くが良い。……もやし」
「もやし!」
「焼き蕎麦」
「やきそば!」
「レタスや豆腐は、手で千切る」
「手でちぎる!」
「フライパンか片手鍋、一つの容器で事足りさせる」
「ことたりさせる!」
「と、まあ。……このような具材を用いた、このような具合の調理を行えば、包丁その他の調理器具は、特に必要がないということだ」
「あ、あはは。典型的な、おとこのりょーりってやつですね」
「料理と呼べるかは、疑問であるが。しかしともあれ、可食の何かは完成し得る」
「かしょくのなにか……」
「焼肉のたれさえあれば、味付けにおいても敗北はない。無敵だ」
「た、確かに便利ですけれど。万能調味料ですけれど!」


◆【20150318】
「すぷらったとか、割と平気な方なのですよ」
「うむ。知っている」
「サイコな類のあれやこれやは、むしろ好みなぐらいです」
「素敵な趣味だ。素晴らしい」
「つまるところは、私、いわゆるホラーが好きなのですけれど――」
「ああ」
「――であるからこそ。改めて、言っておかなきゃいけないことがあるのです」
「何やら、常なき気迫を感じるな。……拝聴しよう」
「つまり。――音と画像でびっくりさせるのは、これは断じて、ホラーなんかじゃないと思うのです」
「……ああ」
「あんな、ただどこかで拾ってきたような、適当な悲鳴と顔写真を組み合わせただけの、あんなものが……あんな動画が、ホラーだなんて」
「……またぞろ、踏んでしまったのだな」
「……はい」
「怖かったんだな」
「うう……もうやだぁ」


◆【20150319】
「生ぬるい夏の夜。ガスランタンの強い光に、小さな蛾たちが惹き寄せられて……」
「……」
「ばちり、ばちりと。ぶつかっては爆ぜ焦げて、果ててガラスにこびりつく。……ガスが燃える音を聞きながら、私はたぶん、ココアを飲んでいたのです」
「つまり、夏のキャンプの想い出か」
「ですね。私が、もっと小さかった頃のことですけれど」
「うむ」
「……それで、私は。蛾が死んでゆくのを、ただぼんやりと眺めやりながら」
「……」
「その、えっと。――美しいな、と。そう、思っていたはずなのです。気持ち良い景色であるとは、決して思えはしないのに」
「……そうか」
「あの、先輩。引いちゃいました?」
「そんなことはない。……ただ」
「ただ?」
「俺が何を言おうとも、尤もらしい解説を付そうとも、君が感じた美しさなるものを、穢してしまうことになるのだろうな、と」
「……ふふ。ありがとうございます、先輩」


◆【20150320】
「ぽかぽか、ぬくぬく。いやはや、暖かくなってきましたねー」
「そうだな。且つ、夕刻の風は心地良く体を冷す」
「寒さでさえも、涼しさに移り変わったということですね」
「うむ。漸く、冬が――恐怖の季節が、終端の時を迎えたということだろう」
「ふふ。何だかとっても、嬉しいのです」
「ああ」
「世界の全てが、鮮やかに色付いてゆくような。止まった時間が、やっと動き出しているような。……春が、来たのですよ」
「春、か」
「ええ。それはもう」
「春なのだな」
「ええ」
「春が、来てしまったのだな」
「……先輩?」
「であれば、つまり。……お別れだ」
「――え」


◆【20150321】
「昨日、先輩が仰ったこと。……まだ、ちゃんとは、飲み込めていないのだと思うのです」
「……ああ」
「だって、ずいぶん以上に長い時間を、そしてそれ以上に濃密な瞬間を、ずっと分かち合ってきたのですから」
「そうだな。違いない」
「でも。……それでも」
「ああ」
「人が人として、生き続けてゆく上で。別れは、きっと、どうしようもないことだとも思うのです」
「認めたくなど、決してない。しかしそれでも、或いはまたそれ故に、離別という状況は、どうしようもなく実在してしまうのだろう」
「ん。……だから、私は。――私は、精一杯、お別れのその瞬間が来てしまうまで、惜しんでいたいな、と」
「そうだな。……出し惜しみなく、惜しむがいいさ」
「今日はもう、すっぽり潜り込んじゃいますよ。こたつむりです。さもなくばもう、家猫娘です」
「止めなどしない。存分に、謳歌し満喫するがいい」
「さよなら、私の帰る場所。さよなら、私の暖かい場所。――さよなら、こたつ」
「クリーニング店でも、どうか元気でやっていて欲しい」
「また、いつか。秋が終わって、冬が始まる、その日まで……!」
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