彼:
煙草は、二か月で一箱吸うか吸わないか。
喫煙者にしてはかなり控えめで、邪悪ではない方だ。

後輩:
当然ながら、非喫煙者にして非飲酒者である。
とはいえ、カクテルブックを眺め色や名前に恍惚とすることしきり。


◆【20141213】
「ところで、センパイ」
「……?」
「ん。どうかしたのですか、センパイ?」
「いや。どうもしない……筈なのだがな。何か、妙な違和感が」
「何ともこう、ふわふわした感じですけれど。お体の異常とか、そういう線は?」
「それはない、とは思う……のだが」
「でも、こういうのって、自覚できないことも多いですから……一応、体温を測っておきますか」
「あ、ああ」
「体温計、どこにしまってありましたっけ」
「箪笥の上のクリアボックスだ」
「お、ありました。……どうぞ、センパイ」
「すまん。……しかし、増々違和感が」
「ほんとに大丈夫なのですか、センパイ? ……お熱は無いみたいですけれど、今日はもう、お休みになられた方が……」
「……そうだな。そうさせて貰うとしよう」


◆【20121214】
「ん……、あれ。先輩」
「どうした」
「お酒の缶って、ふちのところに『おさけです』って刻まれているのですね。こりゃまた、ずいぶん直球な」
「……ふむ、初めて知った。それなりに、付き合いはある筈なのにな」
「それなりにと言いますか、ずいぶん。……たぶん、誤飲防止の配慮なのでしょうけど」
「ああ。だろうな」
「ところで、先輩」
「うむ」
「おさけです」
「おさけだな」
「おさけなのですよ」
「おさけだろうとも」


◆【20141215】
「一度見たきりの、まして結構長いフレーズ。それでも、忘れられないものもあるのです」
「ふむ」
「『CGを使いません。ワイヤーを使いません。スタントマンを使いません。早回しを使いません。最強の格闘技ムエタイを使います』」
「……あれか。いつになっても色褪ぬ、魅力的なキャッチコピーだな」
「ですねえ。ほんともう、惚れ惚れしちゃいます」
「あの映画は、邦題もケレン味に満ちている。もはや、どう発音するかも分からぬ程に」
「ええと、こう、――っマッハッ!! ……って感じでしょうか?」
「気合十分ではあるが、エクスクラメーションが足りていないか」
「うーむ、厳しい。具体的には、幾つぐらいでしょうか」
「六つだな」


◆【20141216】
「『九マイルもの道を歩くのは容易じゃない、まして雨の中となるとなおさらだ』」
「何やら印象的なフレーズだが。小説か何かの文言か?」
「はい。作中での意味合いは、この一文だけをよすがにして、論理的思考を積み重ね、やがて事件の真相に突きあたる、というものなのですが……」
「なるほど」
「論理的思考、推論。……確かにそうではあるのですけど、その過程はむしろ、想像力を働かせ、空想の世界を築き上げてゆくのに近いものでして」
「……」
「ふと、思ったのですけれど。……推論と妄想に、そう大した違いは無いんじゃないのかな、と」
「ふむ。……どちらも、現実のある一点を梃子として、そこにはないものを作りあげてゆく営みではあるか」
「そういうことです」
「強いて言うなら、妥当性の問題か? ……いや、違うな」
「先輩?」
「妄想と呼ぶか、推論と呼ぶか、恐らくそれは、目的と状況の差異でしかない」
「あー、あー……なるほど、ですね。探偵が事件を解決するのなら、それは推論。私が先輩と、頭の内でいちゃいちゃするのなら、それは妄想」
「――今、何か。聞いてはならぬ何某かを、聞いてしまった気がしたのだが」
「はて、何のことです?」


◆【20141217】
「とても強くて冷たい風が、私に向かって、吹きすさんでいるような気がしていたのです」
「……」
「そして私は、その中を歩いてゆくのです。一歩づつ、一歩づつ、路面の硬さを踏みしめながら。歩む速度は緩慢で、灰色の向かい風の中、瞼さえも閉じかけながら、耐え震え、ただ目指す場所だけを求めて――」
「――何やら、比喩めいた物言いではあるが。つまるところは、物理的事象の話だな」
「あはは。その通りです」
「悍ましいとさえ言える、酷い寒波が訪れているらしい」
「全くですよ。先輩のお部屋に辿り着くまでに、聖杯探求にも匹敵するような、途方もない冒険を成し遂げた気分です」
「お疲れ様だ。グレイルの栄光とは言わずとも、せめて暖かさを得られているといいのだが」
「……エアコンはフル稼働。こたつはもはや、理想郷のようでいて。先輩が淹れて下さったコーヒーも、心を体を、あたためてくれるものであり。……これで、十分。十分すぎるほど、なのですけれど……」
「……」
「――もし、私が調子に乗って。『まだ足りない』と言うことは、許されているのでしょうか」
「問われるまでもなく、自明のことだ。……ほら」
「わ。……えっと、それでは、遠慮なく?」
「うむ」
「……ん。先輩」


◆【20141218】
「ことわざに曰く、『アンタのためじゃないんだからね!』だそうです」
「一体、何処で何を取り違えたのやら」
「あ……ですね。ごめんなさい、先輩。『情けは人の為ならず』の間違いでした」
「な、なるほど。確かに、字面は似ているような気はするが――」
「『か、勘違いしないでよね。情けは人の為ならず!』」
「……新機軸!」


◆【20141219】
「おかえりなさい、先輩。ごはんにしますか? お風呂にしますか? ……それとも、わ・た・し?」
「……束子じゃなくてか?」
「私が、三度、同じネタを繰り返すとお思いですか」
「あ、ああ。……そうだな、確かに、それはそうかも知れないが――」
「わたしというか、わたわたしてますよ、先輩?」
「……」
「……」
「――うむ。今のは、中々、味のある掛け合いだった。君の言葉遊びも、行き届いていたものだ」
「先輩も、素敵なリアクション、ごちそうさまでした。恥を忍んだ甲斐があったというものです」
「互いに満足したのなら、ハイタッチでも交わすとしよう」
「あはは。であればさっそく、お手を拝借……」
「ああ」
「せーのっ、いえーい!」
「いえーい」


◆【20141220】
「家を出る用事が無いのなら、それに降られる必要が無いならば、冬の冷雨は、趣深くさえ思えるものだ」
「流れる人波をみたり、雨あがりの街に風がふいに起ったりすると、なお良しですね」
「またぞろ、懐かしいものを持ち出して来たな」
「――って、まあ。この場合。十二月の雨に憑かれていたのは、むしろ先輩だったわけですが」
「……うむ」
「あはは……。ご愁傷様と言いますか、お疲れ様と言いますか。お風邪など、引かれなければ良いのですけど……」
「いや、なに。お陰様で、骨の髄まで温まったさ」
「ん。幸いでした」
「まして幸いなことは、鍋の具材が、瑕疵なく揃ったということだ」
「ええ……。冷蔵庫に鎮座まします、鶏肉白菜白滝豆腐に葱椎茸」
「うむ。そして、締めのラーメンもある」
「もはや、後光さえ見えるような気がします」
「後光というか、庫内灯ではあるけどな……」


◆【20141221】
「じゃあ先輩、私はここで。また明日ー」
「ああ。日暮れ前とは言え、十分に気を付けてな」
「はいっ。それでは……あっ!?」
「む。どうした」
「ええと……、多分、チェーンが外れちゃったんじゃないかと」
「ああ、なるほど」
「うう……実はこれ、生れて初めてなんですよ。仮に直せるものだとしても、軍手とか要りそうですし――」
「まあ、待て。見せてくれ」
「……先輩?」
「そう、難しいことではないさ。……指でチェーンを歯車の上に押し当て、ペダルを手に持ち、逆方向に回転させる。すると」
「お、おお!?」
「こんなものだ」
「さ、さすが先輩――って、手、手。凄いことに、なってますけど……」
「なに、どうということはない。所詮は、唯の油汚れに過ぎん」
「……」
「しかしどうやら、相当にチェーンが弛んでいるらしい。近々、修繕の必要があるな」
「……」
「チェーン引きが付いているから、そう時間は掛からんだろう。まあ、明日――」
「……先輩。あの」
「うむ」
「先輩が、なにか普通に格好良くて。その、こう、ときめきが」
「……。落ち着け」


◆【20141222】
「いわゆる一つの、鈍感主人公へのアンチテーゼとして、一つ考えてみたのですけれど」
「また唐突に、剣呑な攻撃性を剥き出しにしているな。聞くが」
「鈍感の反対ですから、敏感主人公とでも言いますか」
「び、敏感主人公」
「こう、ヒロインから向けられる些細な好意を、決して取りこぼすことなく把握して、結果、なおさら愛されることになるという――」
「……イケメンか?」
「……イケメンですかねえ?」


◆【20141223】
「夏の日を、覚えている。最早、遠い昔のことではあるが」
「ん……」
「……だが、その日に、何があったのかを思い出せない。忘れるべきでない、記憶しているべき出来事が、確かにそこにあった筈なのに」
「……『覚えている』ことだけ、覚えている?」
「そうだな。おかしなことだが……手を伸ばそうにも、距離も方向も分からない。辿り着こうにも、どの方角へ歩けばいいのかも分からない」
「……私は」
「ああ」
「ちょっとだけ、嫉妬しちゃいますね。先輩がそうまでして覚えていたいと、思い出したいと、そんな過去があることに。それを私が知らないことに」
「とは言うが。案外、何でもないことかも分からんぞ。神社で飲んだラムネが美味かったとか、そういうつまらぬことかも知れん」
「たとえそうでも、面白くなくなんかないですよ」
「そうか?」
「少なくとも、私にとっては、先輩の語る景色は、何もかも。……だから、夏への扉を探すというのなら、私は先輩の肩を持ちます」
「はは。俺は猫ではないけどな」


◆【20141224】
「思い返してみれば。それは、ほんの一瞬のことのような気がして」
「……」
「それでも。積み重なった時の流れは、確かにずっと、ここにある。きっと、ずっと、ここにあり続けてきたのです」
「……ああ」
「先輩のお部屋に、お邪魔させて頂くようになってから。私の居場所を、先輩が与えてくださったときから。……いつの間にか、結構な時間が経っていたのだと、ふと思ったりしちゃいまして」
「そうだな。ま、邪魔であるなど、考えたこともないのだが」
「ん……。ありがとうございます、先輩」
「感謝ならば、お互い様のことだ。……ありがとう。ここにいてくれて」
「あはは。じゃあ、どういたしまして、先輩」
「うむ」
「……ところで、先輩」
「どうした」
「時を重ねて、ようやく気付いたのですけれど。――先輩って、えっちな本とか、一冊も置いてないですよね」
「……ぶち壊し!」


◆【20141224-2】
「いえ、まあ……別に、世の中の男性が、なべて猥褻な本を隠し持っているものだとは、全く思っていないのですが」
「そりゃそうだ」
「そもそもこのお部屋、ベッドも置かれていないですしね」
「ベッドの下、という奴か。物語的な定番化の割に、寧ろ、実際に用いられることは皆無だという」
「ありゃ、そういうものなのですか。……じゃあ、世間一般の殿方は、一体どういう隠し場所に、ヘイヴンを見出すのでしょう?」
「騙されんぞ」
「あはは、ですよね」
「うむ」
「それに考えてもみれば、今の時代、データで持っているのが普通でしょうし。奥深く作ったフォルダに、それとはつかない名前を付けて――」
「……」
「……先輩?」
「……」
「……先輩」
「――と。ここまでがネタだ」
「あはは、です、よね……?」


◆【20141225】
「アニメ声って、ありますよね」
「……という話題の第一声を、見事なアニメ声で以てするあたり、流石と言わざるを得ん」
「そうそう、まさに、そこが問題だと思うのです」
「続けるのか、その声音。……して、つまり?」
「先輩も、こういう……甲高くかつ甘い、活発な少女の声質を、いわゆるアニメ声だと認識されているようですけれど。それは、世間的にも同じことだと思うのですが――」
「ああ」
「――でも。何でそれが『アニメ声』?」
「……ふむ、見えてきた。つまり、アニメに登場するキャラクターには、老若男女、様々なタイプがある。にも関わらず、『アニメ声』という語が適用される範囲は、専らワンパターンな少女型に限られていると」
「な、なんという理解の早さ。……まあ、つまり、そういうことが言いたかったのです」
「そうだな。……アニメキャラクターという概念に対する、画一的なイメージか」
「すてれおたいぷ、というやつですね。些細な語彙の話とはいえ、こういうのには少しもやっと、……」
「……どうした?」
「いえ。その、……喋り方、普通に戻して良いですか?」
「そうか。残念だ」
「残念だ!?」


◆【20141226】
「ふむ。それはまた、アックス、ジャパニーズハープ・アンド・フローリスツデイジーだ」
「……はい?」
「……」
「えっと、斧、琴……ああ。はい、わかりましたよ」
「……」
「あ、あー。ちょっと時間はかかっちゃいましたけど、ちゃんと意味は取れましたので。そんな、羞恥と後悔の狭間で奈落に沈んでゆくような顔をなされずに――」
「……」
「ああっ。先輩が、こたつの中にもぐりこんでゆく……!」


◆【20141227】
「分かってはいた。いたんだ」
「……」
「通販サイトで品物を注文したのなら、それが到着するのは、早くとも一日後であると。常識的に考えるならば、二日後以降になるのだと」
「……」
「クリスマスソングのパンクロック・コンピレーションが、十二月二十七日に到着したのは、それは勿論、十二月二十五日に注文したからに他ならない。極めて論理的な帰結であると、言う他にない」
「……」
「なに、音楽に罪はない。……これは、俺一人の罪業だ」
「……それでも」
「ああ」
「それでも、先輩の指は動くのですね。罪を背負って、CDプレイヤーの再生スイッチを押すために。クリスマス明けにクリスマスソングを聴くという、虚しささえも受け入れて」
「そうだ。もはや躊躇などしはしない。これは俺が乗り越えるべき――」
「では、ぽちっと」
「……」


◆【20141228】
「どうして豚にしたのかと言いますと、そうは豚屋が卸さない、という冗談を思いついたからなのです」
「……ああ。漢字違いか」
「というわけなので、先輩はお待ちあれ。なんとか豚屋に卸させて、美味しいヒレステーキを用意致しますので」
「楽しみにしていよう。……まあ、豚肉自体は、そこらのスーパーマーケットで購入したものだがな」
「あはは。ついでに言えば、半額で」


◆【20141229】
「紙製の羽根。赤色のビニールテープ。……ペットボトルで造られたロケットが、水飛沫の航跡を曳き、青い空へと突き抜けてゆく」
「……」
「そんな光景を、夢見心地の幻に見た。ただ、それだけの話なのだが」
「……」
「果たして、それは己の記憶だったのか。もはやここにありはしない、遠い日の残像だったのか。それとも、どこかで風のあわいに聞いた、非実在なる空想だったのか」
「……ふむむ」
「冬の真昼の微睡は、不思議な景色を連れてくる。まして、炬燵の中であれば尚更だ」
「いつも以上に、何だかリリカルな先輩です」
「――というのは、話の枕なのだが」
「おお。……つまるところは?」
「こんな寝方をしていると、体調不良を起こしかねない。反省し、また、注意を促すものだ」
「……えっ!?」


◆【20141230】
「誰かが、聞いていてくれるということ。独り言ではないということ。……一人では、ないということ」
「……」
「声。音。空気の震動。言葉なんて、ただそれだけのものですけれど。……でも、もし、他の誰かの鼓膜を震わせたなら。伝わり、届いたというのなら」
「……」
「それだけで、きっと世界は変わるものなのですね。広がり、導き、遠い空の果てにさえ、それは鳴り響いてゆく――」
「……」
「――なんて。これそのものが、独り言、みたいなものかもですが」
「……ふむ」
「わ、わっ。……あの、先輩?」
「いや、なに。……伝わり、届いたということさ」


◆【20141231】
「ねえ、先輩。ついさっき、初めて知ったのですけれど」
「どうした?」
「今年という一年も、もはや終わろうとしているみたいです」
「なんとな。驚きだ」
「あはは。全くですよ」
「光と陰は、矢の如く。誰にとっても、この世界のスピードは、速くに過ぎるものだと聞くが……」
「ええ。そして過去とは、記憶という名の映像。かつてあったかたちとは、まるで違うかもしれない残像……なんて」
「ま、そうだな。だが、たとえ捏造であったとしても、俺は追憶を肯える。……君が、そう教えてくれたから」
「……先輩」
「思い返せば、色々なことがあったものだ」
「ん、ですね。……たとえば、そう」
「……」
「先輩とお話して、先輩とごはんを食べて、先輩とだらだらして、先輩とごろごろして、先輩といちゃいちゃして、先輩とぼんやりして」
「……何やら、退廃的ではあるが。確たる蓄積ではあるな」
「それもきっと、先輩と私らしいと思うのです」
「うむ。違いない」
「こういうのを、感傷と呼ぶのでしょうか。……何だか、とても遠いところまできてしまったような。旅路のような高揚と、望郷のような切なさのただ中に、ふわふわ浮いているような」
「ふむ。……年の瀬の感傷に、浮遊するのも一興か」
「それはもう、ぼんやりと」
「ただ、しかし。君に失念して欲しくない、現実もある」
「それは、どんな?」
「君と俺とは、今も二人でここにいる、ということさ。確かに、足に大地を踏みながら」
「……ん」
「これまで、そうあってきたように」
「ええ。そしてきっと、これからも」
「ああ。これからも」
「……あ。先輩」
「どうした」
「ふふ。あと、五分だそうですよ?」
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