彼:
両親の事故死をきっかけとして、三回生で大学中退。フリーターを経て、正社員の座に収まった。
故に二十三歳現在において、社会人四年目である。

後輩:
扶養者からは概ねの保護を放棄されているが、月々の生活費や学費など、肉体的、社会的生存に必要な金銭は受け取っている。
その一部から、合理的に計算した金額を、彼との半同棲生活費用に提供している。


◆【20141125】
「何かを懐かしむ機縁は、色々あるものだな」
「先輩?」
「たとえば、あれだ。苺牛乳などの、ピンク色を呈する為の着色料に、カメムシの一種が使われているという雑学」
「ん、こちにーるかいがらむし」
「うむ。……嘗てはこの程度の知識提示でも、話題作りに事欠くようなことはなかった。そういう些細な事柄からも、時の移ろいを感じるものだと思ってな」
「わ、割と斬新なセンチメントですけども。……それにしても、雑学、ですか」
「うむ」
「いろいろありましたよね。一万八千七百八十二、ですとか」
「語呂合わせの足し算か」
「みんな、必死に同じようなネタを考え出そうとして……」
「遠い日の想い出。ほろり」
「あ、あはは……」


◆【20141126】
「ホーンドラビット!」
「……?」
「とにかく!」
「あ、ああ。『兎に角』、な」
「魔獣、ホーンドラビット。それは話題の流れを強引に決めてしまう、恐ろしい化け物なのです」
「兎というイメージ以上に、大型の獣なのだろうか」
「かばぐらいはありますね」
「何という偉容」
「ジャンプ力も凄いんですよ」
「それはまた、恐ろしい」
「ええ、とにかく恐ろしいのですよ、先輩」
「兎に角、な」


◆【20141126-2】
「……えと、先輩」
「どうした?」
「こうして、他愛のない与太話を繰り広げてしまった後で、何やら言い出し辛いのですけれど」
「うむ」
「何で、『いずれにせよ』みたいな意味の『とにかく』に、『うさぎにつの』っていう漢字が当てられているのでしょうか?」
「それなのだが」
「わくわく」
「出典自体は、仏典なのだがな。……実際のところ、ただの当て字だ。特に意味はないらしい」
「え、えー。じゃあ、ホーンドラビットは……?」
「いなかったんだ」
「しょんぼり……」


◆【20141127】
「……」
「……」
「……」
「……ゼドアーッ!」
「――!?」
「……ごめんなさい。なんでもないです」
「そ、そうか……」


◆【20141128】
「誰だって、辛い。それはきっと、そうだろう」
「先輩」
「生きる場所がそもそも違う。住んでいる世界が違う。苦しみの尺度が違う。それぞれの苦痛は一人一人のものであり、その比較に意味などはない。共通するのは、辛い、という部分のみ」
「それは、きっと。生れてくることそのものが、一つの不幸だったから」
「……ああ」
「先輩も、私も、他の誰かも」
「だが。いや、ならばこそ、誰も彼もが不幸の星に生まれたのなら……何故、『だから、我慢しろ』と、なるのだろうな」
「……ふむむ」
「寧ろ、俺達はこう言うべきなんだ。『傷を舐め合おう』、と」
「苦しみを増やすぐらいなら、癒やしあうべきだと。たとえ、それが騙し騙しだとしても」
「そういうことだ」
「……ん。私も、その通りだと思います」
「ああ……」
「というわけなので、早速、失礼しまして」
「――待て。顔が近い。何をしようと……」
「何って、それはもちろん、文字通り――」


◆【20141129】
「……。でっかい」
「うむ」
「いえその、大きい大きいとは聞いていましたけれど、何ですか、これ。子供用のグローブぐらいはありません?」
「そうだな。実際、目にするまでは信じられなかっただろうが……これが、現実だ。そして或いは、これがこの店の名物、巨大なげそ天だ」
「げそ天、という言葉で括っていいものなのですか、これは。というかそもそも、こんな烏賊、実在するのですか。むしろこれは、本当に烏賊なのですか?」
「つまり、触手を持った巨大モンスターのものである可能性が……?」
「それも、海棲のものではなくて、洞窟ダンジョンの奥地で遭遇する系の」
「狩るにあたって、対麻痺ポーションの類は必須だな」
「……という、与太話はさておいて。折角ですし、冷めないうちに食べたいです」
「うむ。切り分け用の鋏は、君が先に使ってくれ」
「はいっ」


◆【20141130】
「秋めいていた木々も、殺風景になっちゃいましたねえ」
「ああ。そして路上には、あたかも絨毯の如く、赤茶けた葉が敷き詰められている。これをして、『紅葉の錦』と呼べなくもなかろうが……」
「……踏みつけられて、踏みにじられて、割と無残な御姿に」
「そうだな。桜の頃の終わりにしても、避けがたい事象ではあるものの……何とも、哀愁めいた景色ではある」
「うーむ。同感です」
「豊穣なる実りの季節の、その終わりの風景だ」
「ええ。……そして、冬が来るのですね」
「うむ。冬が来る」
「寒い眠りの季節への、備えはいかがでしょうか?」
「そうだな。……炬燵は出した。エアコンにも不備はない。防寒具の類にしても、買い足しの必要はなさそうだ」
「ふむふむ。ばっちりみたいです」
「ああ。……そして何より、君という熱源がある。もはや、ここにおいて不足などない」
「お、おお」
「どうした?」
「い、いえ。いつも、私が言っていたようなことですけれど……こうして、改めて言われてみると。結構恥ずかしいものですね、これ」
「今更だ。大人しく、暖かみを寄越すがいい」
「あっ、は、はい……!?」


◆【20141201】
「『円周率が三になったから学校教育はもうおしまいだ』みたいなことを声高に叫ぶ人に限って、円周率の定義さえ説明できなかったりするのです」
「何時になく、切れ味鋭い……」
「……なんてのも、ずいぶん昔の話題ですよね。私、掠ってすらないですよ」
「それもそうだ」
「一体、何だったんでしょうね。あれ」
「まあ……実際のところ、盛況の割に、まるで実態のない話題ではあったな。そこで消費されたエネルギーを思うと、哀愁すら感じざるを得ん」
「エレジィ?」
「うむ。エレジィ」
「ところで、先輩」
「ああ」
「ここで問題。円周率の定義とは?」
「円周長の直径に対する比率」
「ん。ばっちりです」


◆【20141202】
「それは無垢の優しさであり、無下に否定するべきでない。そう、理解してはいるのだが」
「いわゆる一つの、ありがた迷惑、という奴ですか」
「そういうことだな」
「難しいところですよね。もし今じゃなかったら、ここじゃなかったら、それは本当に、ありがたいことだったりするかもですし」
「うむ。社会で生きることの困難を、まざまざと突きつけられる……」
「それが、今、というわけなのですね」
「うむ」
「つまり、先輩が仰りたいのは、こうですか。――マジックカット構造ではなくて、普通に切り込みを入れてほしい、と」
「……うむ」
「変なところで不器用ですよね、先輩って……」
「……自覚はある」
「あはは……。えっと、私が開けますよ。貸してください」
「迷惑かける」


◆【20141203】
「何故、クリスマスが『恋人にとって特別な日』なのかは知りませんし、特に理解しようとも思いませんけど」
「うむ」
「十二月の街を彩る、煌びやかなイルミネーション。行く先々で聴こえてくる、チープなアレンジのクリスマスソング。……こういうものは、不思議と嫌いじゃないのです」
「まあ、思うところはないでもないが……確かにな。幻想的というには少し足りぬが、衣替えしたかのような街の様子は、目の保養であるとは思う」
「そして、何食わない顔でチキンやケーキのたぐいを買ってみるのも、一つの風情というものですね」
「ああ。……しかし、何だ。二人して、どうにも歪んでいることだ」
「ですけど、大切にしたい歪みです」
「そうだな。同意する」


◆【20141204】
「休み時間の教室で起こる、謎の現象。それは学び家の死角」
「ふむ、季節外れの怪談か?」
「ある意味では、怪談以上に身近な恐怖と言えるでしょう。きっと先輩も、経験していた筈の超常現象……」
「また、盛り上げて来るものだ」
「たとえば、そう。『突然教室中の会話が止んで、数秒後、何事もなかったのかのように騒がしさが戻ってくるやつ』」
「……ああ。あれか」
「加えて、『勉強机に突っ伏して寝ているときに、突如膝が跳ね上がって、ガタッ! となって恥ずかしいやつ』」
「い、言われてみれば……」
「そう……もはやあなたも、他人事ではいられない……!」


◆【20141205】
「何もしていなかった、と。そう認識して、愕然とすることがあった」
「……ふむむ」
「朝起きて、服も着替えず、パソコンを立ち上げる。ブックマークのウェブサイトを見て回り、適当な動画を閲覧し。……一通りの巡回を終え、特に為すべきことを思いつかずに、遅々と進む時計の針に苛立ちを覚え、また同じことを繰り返す。そしていつしか、夜になっている」
「ああ……」
「おかしな話だ。時間が余っているのなら、せめて本でも読めばいい。映画をレンタルしてきたっていい」
「……でも、ですよ、先輩。そうやって、だらだら過ごすのも……言い方は悪いですけど、生産性なく日を暮らすのも、一つの幸せなのではないですか?」
「それを、幸せと感じるならばの話だ」
「先輩は、そうとは思えない?」
「まあ、な。……不定形の現実に追われているように錯覚し、理由のない焦燥に脳を突かれ、漠然とした不安に責め苛まれる。幸いなものだとは、決して思えはしなかった」
「先輩……」
「なに、昔の話だ。……今は、暇な時間にあったとしても、概ねにおいて満ち足りている」
「聞いてもいいのか、少し躊躇しちゃいますけど。……それは、どうして?」
「少しは、ものをきちんと考えるようになったから、だろうか。……後は、まあ、あれだ」
「……」
「君がいるから。君のことを、思っていられるから」
「っ……、先輩」


◆【20141206】
「ごめんなさい、お待たせしちゃいましたか――って、おお、牛乳」
「ああ。すまんが、先に頂いていた」
「温泉といえば、ですか」
「形から入ってみるのも、悪くない」
「あはは、ですね。……折角ですし、私も頂きますか」
「それがよかろう」
「ん……この、アームが動く自動販売機にも、何か風情を感じたり」
「回収用の、牛乳ケースもセットだな」
「風呂あがりのぼんやり時空は、色々なガジェットに支えられているのですねえ」
「うむ。ぼんやり」
「ぼんやり……」


◆【20141207】
「薄い黄色から水色へと繋がってゆく、色褪せたような空でした。私は、白い街の通りに立ち尽くしていたのでした」
「……」
「遠い城壁。石造りの建造物。高く高く空を衝く、白亜の塔。私以外に、そこには誰もいないようでした」
「……」
「いえ、人は……あれが人だったのか、私には分かりません。塔のうえから、落ちてくる何か。手足を広げ、地面に向かって、まっすぐに。……それがどうなったのか、私は知りません。何せ、ずいぶん遠い場所のことでしたので」
「……」
「私は、少し歩いてみました。風はなく、音もなく。紙切れを拾いましたが、そこに書かれている文字を、その私は読むことができませんでした」
「……」
「どこかの窓が、開いたのに気付きました。でも、窓の中には、やっぱり誰も見出せなくて。私は何か言い掛けました。たぶん、それは、人の名前だったのだと思います」
「……」
「私は、寂しかったのです。走って、走って、走り回って、どこかいるはずの魔女を探して。でも、魔女って、一体どこのどなたなのでしょう?」
「……」
「えっと。……というわけで、先輩。これが、今見た夢の話です。きっと、どこにも比喩はない。夢解きになんか、意味はない。ただ、不思議な夢を見たと、それだけのお話でした」
「……ああ、拝聴した。確かに、不思議な夢であったようだ」


◆【20141208】
「仕事が忙しければ忙しい程、趣味に使う時間が贅沢になるのだとしたら、労働というものも、案外悪くないものかも知れないな」
「……一応聞いておきますが。それ、本気で言ってます?」
「いや。全く」
「あはは……。お疲れさまです」
「お互い様だ。……学業に、学校生活に、悩み疲れることはあるだろう」
「働くことに比べたら、ちょっと見劣りしちゃいますけど」
「生きる舞台の違いなど、些細なものに過ぎないさ」


◆【20141208-2】
「思うに、日常生活というものは、それ自体が戦いだ」
「ん……かも、ですね。……姿を見せない、物音すら漏らさない。それでも確かにそこにいる、巨大な敵との戦いです」
「ああ。だから、無理をすることはない。無茶をすることはない。ただ平々凡々に、一日一日をやり過ごしていくならば、それは立派な抵抗なのだと思う」
「ええ。……何よりもまず、自分自身を大切に」
「うむ」
「当たり前に喜んで、当たり前に苦しんで。その反抗の煌めきは、雑踏のあわいに紛れる程に、小さなものかも知れませんけど――」
「――それでも。違わず、そこにある光ではある」
「それとそれから、もう一つ。……他の誰かに見えていなくても、先輩の抵抗のみちゆきは、私がしかと見届けていますので」
「それこそまさに、お互い様という奴だ」
「――って。ちょっと、語り過ぎちゃいましたかね?」
「いや、なに。たまには、こういうのも良いものさ」


◆【20141209】
「『無名抄』の説話に曰く、俊成卿女なる女流歌人は……」
「おお、和歌のお話」
「いざ歌を作るという段にあっては、明かりをほんのわずかに灯し、人も払い、静かな薄闇の中で沈思黙考していたのだという。ぼんやりとした暗中に、己が想像を遊ばせるというわけだ」
「つまり、それは……あれですね。電気を消してお風呂に入っていると、妙に妄想が捗るという」
「ま、まあ、あながち間違いでもないか……」


◆【20141210】
「黒歴史、という言葉があるな」
「というと、ネットスラングですか。元ネタの方ではなくて」
「うむ。主に創作物や言動において、今や韜晦したい過去なる所産、という意味の」
「右手系とか、漆黒の堕天使系とか、屋上テロリスト系とかですね?」
「そうだな。そして、黒歴史ノート、などという言葉もあるが……」
「少しだけ大人になったとき、思い出しては頭を抱えたりするやつ」
「実際、そういう語られ方をすることが多いものではあるのだが。俺としては、恥じる必要もなければ、まして否定する必要もないと思っているのだがな」
「ふむむ……」
「確かに、直視するには辛く、そのまま用いるには甘い部分もあるだろう。だが、であるとしても、徒に目を瞑り捨て去ってしまうには、余りに惜しい煌めく要素……いわば原石のようなものが、そこにあるのではなかろうか」
「うーむ、おっしゃることは分かるのですが。感情的に、それを許せないからこそ、『黒歴史』というのでは?」
「まあ、そうかも知れんがな」
「……じゃあ、そうですねえ、むふふ。ここで一発、先輩の創作ノートを、掘り返してみるというのは……」
「よかろう」
「えっ、そんなあっさり?」

「……まさか、壮大な現代SFアクションもののプロットを、一時間以上にもわたって、それはもう濃厚に、きっちりみっちりねっとりと話されることになろうとは、当時の私は思ってもみなかったのでした」
「……うむ。俺も、よもやこんなに熱を入れて語ることになろうとは、まるで想定していなかった」
「あ、あはは……」
「謝辞と、慰労と、そして賞讃の言葉を贈らねばならないな。……よくもまあ、ここまで聞いてくれていたものだ」
「気持ちとしては、受け取りを拒みたいところですけど、そうも言っていられないという事実。……でも、面白そうでした」
「そうか?」
「特に、地球意思の端末である、未知の物質で作られた生体兵器には、ちょっと以上にわくわくしちゃいましたね」
「ああ。ガイア理論をアクションものに落とし込むには、ああいう設定が相応しいと思ってな」
「海洋生物がモチーフの兵器には、ロマンが詰まっていると思うのです。関節の隙間から光が漏れる、というビジュアルも」
「まあ、一つの定番ではあるが」
「環境に合わせて自己の肉体を作りかえるという能力は、深海生物特有の、極端な進化に着想を得たものだったりしますよね」
「その通り」
「敵に寄生されて能力を得る主人公の造形は、特撮ヒーローのオマージュでしょうか」
「当時、嵌っていたという言い訳はある」
「それとそれと」
「少し待て」
「ん、どうかしました?」
「……今更ながら、何やら羞恥を覚え始めているのだが」
「今更、そんなの聞く耳持ちません。……秘密結社の内観は、映画『メン・イン・ブラック』を彷彿とさせますけれど、先輩は――」


◆【20141211】
「こたつ。それは、闇に惑い震え凍える魂が辿り着く場所」
「熱を求める暗い旅路は、遠く幽かな灯火を、手探りで手繰るが如く」
「そして掴んだ、コードスイッチという名の温もりを、決して手放さないように……」
「……と、まあ。字面は良いが、やっていることはといえば、炬燵に包まりだらけているに過ぎないのだが」
「そこは、ほら。暖かいから、いいのです」
「それもそうだな。違いない」
「んふふー。ぬくぬく……」
「ぬくぬく」
「こうもぬくいと、悪戯心の一つも起ころうというものですね」
「……何か、剣呑なフレーズを聞いてしまった気がしたのだが」
「たとえばですね。掛布団で見えないのをいいことに、先輩の太腿をさわさわしてみたりですとか――」
「言いながら、早速やろうとするんじゃない」


◆【20141212】
「肉体的に生きていく上で、邪魔にしかならないようなもの。優しさ、暖かみ。……それでもきっと、人が人としてあるために、必要なときがあるのだと思います」
「優しさ、暖かみ、か。……相対的にしか捉えられない、本当にそこにあるのかも覚束ない。そして何より、そのよすがを留め難い」
「光みたいに。熱みたいに。冬の夕暮れ空の果たてに消え入る、千切れた日差しの欠片みたいに」
「難しいな」
「ええ。難しいのです」
「ああ……」
「だから、先輩。ここに、繋いだ手と手に生れた光は、熱は。たとえ消えてなくなるものだとしても……」
「暮れ泥みかね、やがては絶える最期まで、眺め続けていたいのだ、と」
「ええ。先輩」
「つまるところ、今日はもう、繋ぎ通しというわけか」
「だめですか?」
「いや。それもよかろう」
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